身体拘束が本人にもたらす弊害
1.身体機能の低下
身体拘束によって活動量が低下すると、
- 筋力低下
- 関節拘縮
- 廃用症候群
- 歩行能力や起立能力の低下
- 褥瘡
- 食欲低下
- 心肺機能の低下
- 感染症に対する抵抗力の低下
などが生じる可能性があります。
厚生労働省は、拘束によって体力や生活機能が低下し、それが転倒リスクやさらなる拘束につながる「悪循環」を示しています。
高齢入院患者を対象とした研究でも、身体拘束の使用は、機能低下、在院日数の延長、死亡などの不良な転帰と関連していました。
ただし、ここは記事上、慎重な表現が必要です。
身体拘束を受ける人は、もともと重症度が高い、せん妄がある、認知機能が低下しているなど、予後不良につながる要因を抱えていることが多いため、観察研究だけから、
「拘束が直接、死亡を引き起こした」
と断定することはできません。
適切な表現は、
「身体拘束は、機能低下、入院長期化、死亡などの不良な転帰と関連している」
です。
2.転倒防止になるとは限らない
身体拘束は、しばしば転倒・転落防止を目的として行われます。
しかし、拘束そのものによって筋力やバランス能力が低下すれば、拘束を解除した後の転倒リスクが高まる可能性があります。
また、本人が拘束から逃れようとして、
- ベッド柵を乗り越える
- ベルトから抜け出そうとする
- 無理に立ち上がる
- 柵や用具に身体が挟まる
ことにより、重大な転落、窒息、外傷につながることもあります。
長期ケア施設を対象としたコクランレビューでは、職員教育や組織的介入によって身体拘束を減らしても、転倒や重大事故が増えるとは限らないことが示されています。
したがって、
「拘束を外せば危険になる」
という仮定を、個別のアセスメントなしに一般化することはできません。
3.せん妄、興奮、BPSDの悪化
身体拘束を受けた本人は、拘束の理由を十分に理解できないことがあります。
特に認知症やせん妄のある人にとっては、
「なぜ動けないのか」
「なぜ手を縛られているのか」
「なぜここから出られないのか」
が分からず、恐怖や混乱が増幅します。
その結果、
- 不安
- 怒り
- 興奮
- 抵抗
- 大声
- 拘束から逃れようとする行動
- せん妄の悪化
- BPSDの増悪
が起こり、さらに強い拘束が必要だと判断されることがあります。
つまり、
安全のための拘束
↓
不安・興奮・機能低下
↓
転倒・自己抜去リスクの上昇
↓
拘束の強化・長期化
という循環です。
4.尊厳、自律性、自己効力感の喪失
身体拘束の問題は、身体的な損傷だけではありません。
本人は、
- 自分の意思が無視された
- 人として扱われていない
- 何を言っても聞いてもらえない
- 自分では何も決められない
- 抵抗しても無駄である
と感じる可能性があります。
厚生労働省は、身体拘束による精神的弊害として、不安、怒り、屈辱、あきらめなどを挙げています。
この「あきらめ」は、単なる一時的な不快感ではありません。
本人が自ら動こうとする意欲、訴える意欲、生活を取り戻そうとする力を弱める可能性があります。介護の言葉でいえば、身体拘束は自立支援やエンパワメントとは逆方向に働きます。
身体拘束が職員にもたらすもの
1.「罪悪感」だけでは捉えきれない
職員の感情を説明するとき、「罪悪感」は分かりやすい言葉です。
しかし、研究上は、
- 倫理的ジレンマ
- 道徳的苦悩
- moral distress
- 無力感
- 葛藤
という概念で捉えた方が正確です。
道徳的苦悩とは、
「何をすることが本人にとって望ましいか分かっているのに、制度、業務量、人員、責任、組織文化などの制約によって、それを実行できない苦しさ」
を指します。
身体拘束の場面では、職員は次の二つの責任の間に置かれます。
安全を守る責任
対
自由、尊厳、自律性を守る責任
どちらか一方を選べば解決する単純な問題ではありません。
2.看護師が経験する倫理的ジレンマ
日本のクリティカルケア看護師190人を対象とした研究では、身体拘束に関する倫理的ジレンマとして、
- 患者の気持ちに寄り添えないこと
- 過去の経験や個人の価値観
- 看護師間の意見の相違
が抽出されました。
なかでも「患者の気持ちに寄り添えないこと」に関するジレンマが最も強く、自由に意見を述べられる職場風土など、医療安全文化との関連も示されています。
つまり、職員の苦しさは個人の感受性だけで決まるのではありません。
- 相談できるか
- 医師や上司が判断を共有するか
- 拘束解除後の事故を個人の責任にしないか
- 多職種で代替案を考えられるか
- 夜間の人員体制が確保されているか
といった組織的条件によって左右されます。
3.実際に語られる罪悪感
一般病棟の看護師を対象とした質的研究では、身体拘束を受ける患者のつらさ、苦痛、不快感を感じ取ることが、看護師の罪悪感や倫理的ジレンマにつながっていました。
その罪悪感は、拘束解除に向けた行動を促す要因にもなっていました。
ここは記事の重要なポイントです。
罪悪感は、必ずしも悪い感情ではありません。
罪悪感があるということは、職員が、
「本人の自由を奪っている」
「このケアは本当に本人のためなのか」
と倫理的に感受していることでもあります。
しかし、その感情を個人に抱え込ませ続ければ、
- 自責感
- 無力感
- 感情の麻痺
- ケアへの意欲低下
- 離職意向
- 拘束を見ても何も感じなくなること
につながる可能性があります。
厚生労働省の手引きも、身体拘束の社会的弊害として、看護・介護職員の士気低下を挙げています。
「拘束した職員が悪い」という記事にしてはいけない理由
身体拘束を実施した職員だけを倫理的に非難する書き方は、エビデンス上も実践上も適切ではありません。
現場では、
- 転倒させれば責任を問われる
- チューブが抜ければ治療に重大な影響が出る
- 夜勤者が少ない
- 個別に付き添えない
- 医師の指示を変更しにくい
- 家族から「絶対に転ばせないで」と求められる
- 事故後に個人が責められる
- 拘束しないケアの成功事例を共有できていない
という構造があります。
この状況で、職員に対して、
「尊厳を大切にしなさい」
「拘束をやめる勇気を持ちなさい」
とだけ求めても、身体拘束は減りません。
職員の罪悪感を減らすには、倫理教育だけでなく、
- 組織としての判断
- 多職種カンファレンス
- せん妄、疼痛、排泄、睡眠、薬剤の評価
- 環境調整
- 見守り体制
- 福祉用具の再検討
- 家族への説明
- 拘束解除後の事故を個人責任にしない文化
- 拘束しなかった成功事例の共有
が必要です。
研究でも、自由なコミュニケーションや相互支援を含む医療安全風土が、倫理的ジレンマの軽減に関係すると示唆されています。
記事の中心命題
記事の核は、次のようにまとめられます。
身体拘束は、本人の自由を一時的に制限するだけではない。
動く力を奪い、考える力や訴える力を弱め、不安や怒りを増幅させることがある。その結果として、転倒やせん妄、BPSDなど、もともと防ごうとしていた危険をかえって増大させる場合がある。
そして、拘束を実施する職員もまた無傷ではない。
事故を防がなければならない責任と、本人の尊厳を守りたい思いの間で、罪悪感や倫理的ジレンマを抱える。
身体拘束の問題を、利用者と職員のどちらか一方の問題として捉えてはならない。
本人を拘束しなければ安全を守れず、職員が罪悪感を抱えながら働かなければならない環境そのものを、組織として問い直す必要がある。


