認知症のシンボルカラーはなぜオレンジ?|意味・由来とオレンジリングを解説
福祉教育ラボ|学びの整理・文化史
「オレンジ」なのか
柿右衛門の赤絵からオレンジリング、チームオレンジ、そして「本人の声」へ。 一本の色の歴史から、日本社会の認知症観の変化をたどります。
認知症について調べていると、オレンジ色のリングやリボン、ライトアップ、ポスターなどを目にすることがあります。
では、なぜ認知症のシンボルカラーは「オレンジ」なのでしょうか。
最初に答えを整理すると
日本の認知症支援で使われてきたオレンジは、江戸時代の陶工・酒井田柿右衛門にまつわる「柿色」の物語と結びつけて説明されてきました。柿右衛門の赤絵磁器が海を越えてヨーロッパへ広がったように、日本で始まった認知症サポーターの取り組みも世界へ広がってほしい――そんな願いが重ねられた色です。
ただし、この由来には少し丁寧に見ておきたい点があります。
よく語られる「柿右衛門が夕日に映える柿の実を見て赤絵の色を思いついた」という話と、歴史資料から確認できる柿右衛門の仕事は、完全に同じものではありません。
そして、オレンジという色の意味も、2005年に認知症サポーターキャラバンが始まったときから、現在までまったく変わらなかったわけではありません。
オレンジの歴史をたどっていくと、日本社会が認知症をどう見てきたのか、その変化も見えてきます。
ORIGIN
認知症のシンボルカラーは、なぜ「オレンジ」なのか
オレンジの原点とされる「柿色」
認知症支援のシンボルカラーとして使われるオレンジは、より正確には「柿色」として説明されることがあります。
自治体の公式ページなどでは、江戸時代の陶工・酒井田柿右衛門が生み出した赤絵磁器がヨーロッパへ輸出され、高い評価を受けたことになぞらえ、日本で生まれた認知症サポーターの取り組みも世界へ広がってほしいとの願いから、柿色が選ばれたと説明されています。
つまりオレンジは、単に「暖かそうな色だから」選ばれたわけではありません。
そこには、日本から始まった取り組みが地域を越え、国を越えて広がっていくことへの願いが重ねられていました。
佐賀県「認知症サポーターになりませんか」 ↗柿右衛門の赤絵は、海を越えてヨーロッパへ
では、そのもとになった柿右衛門の歴史は、どこまで確認できるのでしょうか。
柿右衛門財団によると、酒井田家に伝わる文書『赤絵初りの覚』には、初代酒井田柿右衛門が1647年頃、苦労の末に赤絵、すなわち色絵磁器の焼成に成功したことが記されています。
さらに、有田の磁器は1650年代末になるとオランダ東インド会社によってヨーロッパへ輸出されるようになり、1670年代以降には海外輸出を意識した上質な柿右衛門様式の磁器がつくられていきました。
酒井田家の文書に、初代柿右衛門による赤絵焼成の記録。
オランダ東インド会社を通じて有田磁器が海を渡る。
柿右衛門様式磁器が王侯貴族などに受け入れられる。
マイセンなどヨーロッパの窯でも写しがつくられる。
現在の美術館資料でも、17世紀後半の柿右衛門様式磁器がオランダ東インド会社を通じてヨーロッパへ渡り、王侯貴族の間で人気を博したことが確認できます。ドイツのマイセン窯で写しがつくられた作品もあります。
「海を越え、異なる文化の中でも受け入れられた」という部分には、確かな歴史的背景があります。
一般財団法人 柿右衛門財団「柿右衛門とその歴史」 ↗「夕日の柿」は、史実と由来の物語を分けて読む
一方、多くの自治体ページでは、「柿右衛門が夕日に映える柿の実を見て、その色から赤絵を着想した」と説明されています。
ただ、柿右衛門財団が紹介する史料から直接確認できるのは、1647年頃に初代柿右衛門が赤絵の焼成に成功したことなどです。「夕日の柿を見て着想した」という場面そのものまでは、同財団の歴史説明では確認できません。
初代柿右衛門による赤絵制作、有田磁器の欧州輸出、柿右衛門様式が海外で評価され影響を与えた歴史は、公式・専門資料から確認できます。
夕日に映える柿の色から赤絵を着想したという逸話は、認知症サポーターの色の由来として自治体などの公的資料で紹介されています。
だからこそ、この二つは分けて考えた方がよいでしょう。
一つは、歴史資料から確認できる柿右衛門と赤絵磁器の歴史。
もう一つは、その歴史に重ねながら、認知症支援のシンボルとして語り継がれてきた「由来の物語」です。
物語だから価値がない、ということではありません。
社会の中で使われるシンボルには、事実だけではなく、人々がそこに託した願いや意味も積み重なっていきます。
大切なのは、その二つを混同しないことです。
SOCIAL CHANGE
オレンジが認知症支援の色になった時代
2004年、「痴呆」から「認知症」へ
オレンジが認知症支援の象徴として広がり始める直前、日本では大きな言葉の変更がありました。
2004年12月、厚生労働省の検討会は、それまで一般的・行政的に使われていた「痴呆」という用語を「認知症」へ変更することが適当だとしました。
理由は単なる言葉遣いの問題ではありませんでした。
検討会は、「痴呆」という言葉には侮蔑的な意味があり、状態を正確に表しておらず、早期発見・早期診断の妨げにもなっていると指摘しています。そして名称変更だけで終わらせず、認知症に対する誤解や偏見を解消していく必要性を示しました。
つまり「認知症」という新しい言葉の普及は、社会の認知症観そのものを変えていこうとする取り組みと結びついていました。
厚生労働省「『痴呆』に替わる用語に関する検討会 報告書」 ↗2005年、認知症サポーターキャラバンが始まる
翌2005年度は「認知症を知る1年」と位置づけられました。
厚生労働省は「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」の構想を掲げ、認知症を正しく理解し、認知症になっても安心して暮らせる町をつくるための普及啓発を本格化させます。
その中心的な取り組みの一つが「認知症サポーター100万人キャラバン」でした。
認知症サポーターは、専門職の資格ではありません。
認知症について正しく理解し、偏見を持たず、認知症の人や家族を温かく見守る「応援者」とされています。特別な支援をする人だけを指すのではなく、日常の中で自分にできることをする人です。
ここに、オレンジという色が社会の中へ広がっていく入口が生まれました。
厚生労働省「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」の構想 ↗オレンジリングが「応援する意思」のシンボルになった
認知症サポーターの象徴として広く知られるようになったのが、オレンジリングです。
重要なのは、誰がこのリングを身につけるものとして始まったかです。
この記事で最も大切なポイント
認知症について学んだサポーター側が、「認知症の人を応援します」という意思を示すための証として使われてきました。
ここには大きな意味があります。
認知症のある人を社会の側から識別するための色ではなく、むしろ社会の側が「私は認知症について学びました」「必要なときには力になります」と表明するための色だったからです。
この方向性は、現在の認知症施策を考えるうえでも重要な出発点になります。
全国キャラバン・メイト連絡協議会「認知症サポーターキャラバンとは」 ↗FROM JAPAN TO THE WORLD
「世界へ広がってほしい」という願いは、その後どうなったのか
日本の認知症サポーターがWHO・ADIから紹介される
オレンジの由来として語られてきた「日本から世界へ」という願い。
では、それは単なる願いのままで終わったのでしょうか。
実際には、日本の認知症サポーターキャラバンは国外からも注目されるようになります。
全国キャラバン・メイト連絡協議会によると、2012年に世界保健機関(WHO)と国際アルツハイマー病協会(ADI)が公表した報告書で、日本の認知症サポーターキャラバンが、認知症への偏見をなくす全国的な取り組みとして紹介・評価されました。
17世紀の柿右衛門様式が海を越えたように、今度は21世紀の日本で始まった認知症への取り組みが海外から見られるようになったのです。
もちろん、陶磁器の輸出と社会政策の国際展開はまったく異なるものです。
それでも、「日本から始まったものが世界へ」というシンボルに託された物語が、思いがけず現実と重なったことは興味深いところです。
英国のDementia Friendsへ
さらに英国では、日本の認知症サポーター制度を参考に「Dementia Friends」と呼ばれる取り組みが始まりました。
全国キャラバン・メイト連絡協議会も、英国が日本を手本として英国版の認知症サポーター制度を開始したと説明しています。
ここで注意したいのは、日本の制度がそのまま海外へ輸出されたということではありません。
国が違えば、医療・福祉制度も地域社会も文化も違います。
それでも、「認知症を一部の専門職だけの問題にせず、市民が理解し、地域全体で考えていく」という発想が国境を越えたことには意味があります。
かつてオレンジに託された「世界へ広がってほしい」という願いは、少なくとも認知症への市民的な理解を広げるという考え方において、現実の動きにつながっていきました。
「日本から世界へ」という二つの歴史
日本で生まれた赤絵磁器。
王侯貴族に受け入れられ、模倣・影響へ。
WHO・ADIで紹介され、英国Dementia Friendsへ。
20 YEARS LATER
100万人から1,700万人へ――オレンジが広がった先に
認知症サポーターは1,721万人を超えた
始まりは「100万人キャラバン」でした。
しかし、その人数は100万人を大きく超えています。
全国キャラバン・メイト連絡協議会によると、2026年6月30日時点の認知症サポーターは17,217,383人。約1,721万人に達しています。
2005年|100万人を目標にスタート
2026年6月30日時点 17,217,383 人の認知症サポーター100万人を目標に始まった取り組みは、20年余りで1,700万人を超えました。
これは、認知症について学ぶ機会が全国の自治体、学校、企業、地域などへ広がってきた一つの結果といえるでしょう。
100万人を目標に始まった取り組みが、20年余りで1,700万人を超えた。
数字だけを見れば、大きな広がりです。
しかし、ここで次の問いが生まれます。
認知症サポーター養成状況を確認 ↗「知っている人」を増やすだけで十分なのか
認知症について知る人が増えることには、大きな意味があります。
偏見を減らし、本人や家族を孤立させないためには、まず理解する人が増えなければ始まりません。
その一方で、講座を受講した人が増えることと、本人の暮らしが実際に変わることは同じではありません。
1,700万人が「知った」その先に、本人の暮らしにつながる関係や活動をどうつくるのか。
地域によっては、その間をどうつなぐかという課題も指摘されています。
たとえば秋田県内25市町村の認知症地域支援推進員を対象とした研究では、認知症サポーターとの連携が十分ではないことなどが報告されています。これは全国すべての地域に当てはまる結果ではありませんが、「養成した人を地域の実際の活動へどうつなぐか」という課題の一端を示しています。
別の公衆衛生看護に関する研究でも、認知症支援の課題として「サポーター活動につながっていない」ことが先行研究から指摘されています。
だからといって、認知症サポーター制度が「数合わせだった」と結論づけることはできません。
実際、地域の見守り、傾聴、認知症カフェ、友人関係の継続など、サポーターによる具体的な活動も各地で行われています。
むしろ、1,700万人を超えるまで理解の裾野が広がったからこそ、次には「その理解を、本人の暮らしとどう結びつけるか」という問いがより重要になったと考えた方がよいでしょう。
秋田県の認知症地域支援推進員に関する研究 ↗FROM AWARENESS TO ACTION
オレンジリングから「チームオレンジ」へ
オレンジリングは「廃止」されたのか
ここは誤解されやすいところです。
「オレンジリングは廃止された」と説明されることがありますが、正確には少し違います。
全国キャラバン・メイト連絡協議会によると、2020年度までは認知症サポーターの証としてオレンジリングが全国一律で配布されていました。
2021年4月以降は、原則として、市町村・都道府県や企業・職域団体など、それぞれの講座実施主体が作成する「認知症サポーターカード」を渡す仕組みに変わっています。
一方、現在も従来どおりオレンジリングを配布している自治体や団体があります。
認知症サポーターの証として全国一律に配布。
リング自体は禁止・全面廃止ではなく、現在も配布する地域等があります。
したがって、
「オレンジリングそのものが廃止された」
とするより、
「全国一律配布が終了し、地域・実施主体ごとのカード等へ移行した」
と理解する方が正確です。
オレンジリングの現在の運用を確認 ↗養成から、地域での具体的な活動へ
その後の認知症施策では、認知症について学ぶ人を増やすだけでなく、その力を地域での具体的な活動につなげる仕組みが重視されるようになりました。
その一つが「チームオレンジ」です。
厚生労働省はチームオレンジを、地域で把握した認知症の人の悩みや家族の身近な生活支援ニーズと、ステップアップ研修を受けた認知症サポーターなどを中心とする支援者をつなぐ仕組みと位置づけています。
ここには、認知症サポーターの人数を増やすだけではない発想があります。
「何を知っているか」から、
「地域の中で、誰と、何をするのか」へ。
オレンジの意味は、少しずつ具体的な関係づくりへ広がっていきます。
厚生労働省「チームオレンジ」 ↗「本人のためのチーム」から「本人も一緒につくるチーム」へ
ただし、ここでも一つ注意が必要です。
認知症の人の「ために」周囲が一生懸命支援を考えるだけでは、本人不在の支援になることがあります。
何に困っているのか。
どんなことなら手伝ってほしいのか。
反対に、何は自分で続けたいのか。
誰と、どこで、どんな暮らしを続けたいのか。
それは本人に聞かなければ分かりません。
近年の認知症施策では、こうした本人主体の考え方が一層明確になっています。
チームオレンジも、単に「支援する人たちのチーム」としてではなく、本人を中心に地域の関係をつくっていく仕組みとして考えることが重要になっています。厚生労働省も「本人を中心としたチームオレンジ」の整備を示しています。
認知症サポーター。認知症への正しい理解を地域に広げる。
チームオレンジ。理解を本人・家族の暮らしや地域活動につなげる。
本人参画。本人の声を起点に、地域や施策そのものを一緒につくる。
FROM SUPPORT TO PARTICIPATION
認知症を「支えられる人」だけとして見ない時代へ
認知症基本法が示したもの
この変化をさらに明確にしたのが、2023年に成立し、2024年1月に施行された「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」です。
基本法は、認知症の人が尊厳を保持しながら希望を持って暮らせることを目的に掲げています。
そして基本理念の第一に、すべての認知症の人を「基本的人権を享有する個人」として位置づけ、自らの意思によって日常生活・社会生活を営むことを掲げました。
さらに、本人が自分に直接関係することについて意見を表明する機会や、社会のさまざまな活動へ参画する機会を確保することも明記されています。
ここで認知症の人は、単に「保護される人」「支援される人」としてだけ描かれているわけではありません。
意思を持ち、意見を表し、社会に参加する一人の市民として位置づけられています。
認知症基本法を確認 ↗「新しい認知症観」とは何か
2024年12月に閣議決定された認知症施策推進基本計画では、さらに「新しい認知症観」という考え方が示されました。
そこでは、誰もが認知症になり得ることを自分ごととして理解するとともに、認知症になったとしても、一人ひとりにはできることや、やりたいことがあり、住み慣れた地域で仲間とともに希望を持って自分らしく暮らすことができる、という方向性が示されています。
- できなくなったこと
- 保護や介護の必要性
- 周囲が考える「必要な支援」
広げる
- できること、やりたいこと
- 本人の意思と希望
- 社会参加と役割
- 本人の声から始める
これは、認知症を「何もできなくなっていく状態」とだけ見る考え方とは大きく異なります。
認知症によって生活上の困難が生じることも、支援を必要とする場面があることも事実です。
しかし、そのことと、その人の意思や役割、希望、関係性まで失われることは同じではありません。
「何ができなくなったか」だけではなく、
「何を大切にしているのか」
「何を続けたいのか」
「何ならできるのか」
を見る。
認知症観の変化とは、制度の言葉だけではなく、人を見る視点の変化でもあります。
認知症施策推進基本計画の概要 ↗施策の起点を「本人の声」にする
そして現在、本人の意見を聞くことは、理念だけの話ではなくなっています。
厚生労働省は、都道府県・市町村向けに「認知症施策を本人参画でともに進めるための手引き」や、「本人の声」を起点とした地域づくり・計画づくりの手引きを公表しています。
本人参画とは、会議に認知症の人を一人招けば終わり、ということではありません。
本人が認知症とともに暮らしてきた経験を持つ一人の主体として、自分の思いや望み、意見を表し、よりよい地域や施策を一緒につくっていくことです。
ここで、行政が「本人の声を聞くことが大切だ」と説明するだけではなく、実際に認知症とともに暮らしている本人たちの言葉にも目を向けてみたいと思います。
「認知症とともに生きる希望宣言」が語っていること
日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)は2018年、認知症とともに暮らす本人一人ひとりが、自らの体験と思いを言葉にし、それらを寄せ合い、重ね合わせて「認知症とともに生きる希望宣言」を表明しました。
「最期まで、自分が人生の主人公です。」
宣言では、できなくなったことだけを見るのではなく、自分の力を活かして大切にしたい暮らしを続けること、自分の思いや希望を伝えながら身近な人たちと一緒に歩むこと、そして認知症とともに生きる体験や工夫を活かして、暮らしやすいまちを一緒につくっていくことが掲げられています。
これは、「認知症の人のために、周囲がよい社会をつくる」というだけの話ではありません。
認知症とともに暮らしている本人自身が、社会の一員として、自分の暮らしや地域について考え、語り、つくっていく。その主体性が、本人たち自身の言葉として表されています。
出典:一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)「認知症とともに生きる希望宣言」
さらにJDWGは2026年5月、「本人にとってのよりよい暮らしガイド」新版2026を公開しました。
そこでも、「一足先に認知症になった私たちからあなたへ」という立場から、やりたいことへの挑戦や、ともに歩むパートナーを増やすことなど、認知症になった後も自分なりの人生を歩んでいくための具体的なメッセージが発信されています。
ここで重要なのは、「本人の声」という言葉を理念として掲げるだけではないことです。
本人たちはすでに、自分たちの経験から社会へ向けて言葉を発し、提案し、活動しています。
これは福祉において、とても重要なことだと思います。
支援する側が「この人にはこれが必要だろう」と考えることと、本人が「私はこう暮らしたい」と語ることは、必ずしも一致しないからです。
認知症について考えるときにも、出発点に置かれるべきなのは制度や支援者の都合だけではなく、そこで暮らしている本人の生活です。
JDWG「認知症とともに生きる希望宣言」 ↗ JDWG「本人にとってのよりよい暮らしガイド」新版2026 ↗ 厚生労働省「認知症施策」・本人参画資料 ↗-
17世紀柿右衛門の赤絵が海を渡る
日本で生まれた色絵磁器がヨーロッパへ広がり、評価と影響を生みました。
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2004「痴呆」から「認知症」へ
呼称とともに、誤解や偏見を含む社会の認知症観が問い直されました。
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2005認知症サポーター100万人キャラバン
認知症を専門職だけでなく、地域全体で理解していく取り組みが始まります。
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2012WHO・ADIで日本の取り組みが紹介される
「日本から世界へ」という願いと、認知症サポーターの国際的な広がりが重なります。
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英国Dementia Friendsへ
日本を手本とした英国版の認知症サポーター制度が始まります。
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2019〜チームオレンジへ
「知る」ことから、本人・家族のニーズと地域活動をつなぐ段階へ。
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2021オレンジリングの全国一律配布から運用変更
実施主体ごとの認知症サポーターカード等を中心とした運用へ移行します。
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2023
2024認知症基本法の成立・施行本人を基本的人権を持つ個人として捉え、意思・意見表明・社会参加を明確に位置づけます。
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2024「新しい認知症観」へ
認知症になってからも、できること・やりたいことがあり、自分らしく暮らせるという視点が示されます。
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2026認知症サポーター1,721万人
理解を広げる段階から、その理解を本人の暮らしにどうつなぐかが次の問いになります。
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現在本人の声から、ともにつくる地域へ
本人を「支援の対象」だけとせず、施策や地域づくりをともにつくる主体として考える方向へ進んでいます。
FEL PERSPECTIVE
では、オレンジは誰のための色なのか
ここまで歴史をたどってくると、オレンジという色の見え方も少し変わってきます。
始まりをたどれば、柿右衛門の赤絵が海を越えたように、日本の認知症支援も世界へ広がってほしいという願いがありました。
2005年以降は、認知症について学び、認知症の人や家族を応援する意思を示すオレンジリングとして全国へ広がりました。
その後、認知症サポーターは1,700万人を超え、チームオレンジなど、理解を地域での具体的な活動につなげる仕組みも生まれました。
そして現在は、認知症の人をただ「支える対象」として見るのではなく、本人の声を起点に、本人とともに社会や地域をつくるという方向へ政策も動いています。
そう考えると、オレンジは認知症の人を識別するための色ではありません。
「認知症の人は、こちら側とは違う人です」と分ける色でもありません。
むしろ、社会の側が自分たちの認知症観を問い直す色なのではないでしょうか。
ただし、「私たちが認知症の人を理解して、支えてあげます」というところで終わらせても、まだ十分ではありません。
何を必要としているのか。
どんな生活を続けたいのか。
何を大切にしているのか。
その答えを、本人抜きで決めないこと。
認知症があってもなくても、一人ひとりが地域の一員として、自分の意思を持ち、誰かと関わりながら暮らしていけること。
オレンジという色の歴史をたどることは、私たちが認知症の人をどう見るのかを問い直すことでもあります。
誰かのために社会をつくるのではなく、その人とともにつくっていく。
そのことを思い出させてくれる色として、これからのオレンジを見ていきたいと思います。
TAKEAWAY
この記事を読み終えたあとに、持ち帰りたい3つの問い
- 「この人は何ができないのか」だけではなく、「何を続けたいのだろう」と考えているだろうか。
- 「本人のために」と支援を考える前に、本人自身に「どうしたいですか」と尋ねているだろうか。
- 本人に制度や支援の都合へ合わせてもらうのではなく、制度・組織・専門職・地域の側が、その人の暮らしに合わせて変われないかと考えているだろうか。
オレンジを目にしたとき、認知症について「知っているか」だけではなく、自分は本人とどのような関係をつくろうとしているのか。そんな問いを思い出すきっかけにできれば、オレンジという色の意味は、もう一段深くなるのかもしれません。
FAQ
認知症とオレンジについて、よくある質問
認知症のシンボルカラーはなぜオレンジなのですか?
認知症支援で使われるオレンジは、「柿色」として説明されてきました。
江戸時代の酒井田柿右衛門による赤絵磁器がヨーロッパへ広がったように、日本で始まった認知症サポーターの取り組みも世界へ広がってほしい、という願いが重ねられたものです。
なお、「夕日に映える柿を見て赤絵を着想した」という説明は自治体などで広く紹介されていますが、柿右衛門の歴史として資料から確認できる事実と、後に伝えられてきた由来の物語は分けて理解しておくとよいでしょう。
オレンジリングは廃止されたのですか?
オレンジリングそのものが一律に廃止されたわけではありません。
2020年度までは認知症サポーターの証として全国一律にオレンジリングが配布されていましたが、2021年4月以降は原則として、それぞれの自治体・企業・団体等が作成する認知症サポーターカードへ移行しました。
現在もオレンジリングを配布している実施主体があります。
チームオレンジとは何ですか?
チームオレンジは、地域で把握された認知症の人や家族の生活上のニーズと、ステップアップ研修を受けた認知症サポーターなどをつなぐ仕組みです。
単に認知症について学ぶだけでなく、その理解を地域での具体的な活動へつなげていくことが意図されています。
現在では、本人の希望や声を起点にしながら、本人とともに地域のつながりをつくるという視点も重要になっています。
オレンジプランとオレンジリングは同じものですか?
同じものではありません。
オレンジリングは、認知症サポーターが「認知症の人を応援します」という意思を示す証として使われてきたものです。
一方、オレンジプランは、国が2012年に策定した「認知症施策推進5か年計画」の通称です。その後、2015年には「認知症施策推進総合戦略」、いわゆる新オレンジプランが策定されました。
名称には同じ「オレンジ」が使われていますが、
オレンジリングは認知症サポーターの象徴、
オレンジプランは国の認知症施策、
と整理すると分かりやすいでしょう。
REFERENCES
主な参照資料
- 一般財団法人 柿右衛門財団「柿右衛門とその歴史」
- 佐賀県「認知症サポーターになりませんか」
- 厚生労働省「『痴呆』に替わる用語に関する検討会 報告書」
- 厚生労働省「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」の構想
- 全国キャラバン・メイト連絡協議会「認知症サポーターキャラバンとは」
- 全国キャラバン・メイト連絡協議会「サポーターの養成状況」
- 厚生労働省「主な認知症施策について」―認知症サポーター・チームオレンジ
- 清水辰徳ほか「秋田県における認知症地域支援推進員の効率的な事業展開に向けた検討」
- 岡野明美「保健師を対象とした認知症高齢者の生活支援に向けた地域包括支援センターのコーディネーション尺度の3職種への適用可能性の検討」
- 厚生労働省「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」
- 厚生労働省「認知症施策推進基本計画(令和6年12月3日閣議決定)の概要」
- 内閣官房「認知症施策推進基本計画」
- 厚生労働省「認知症施策」―本人参画に関する資料・手引き
- 厚生労働省「これまでの認知症関係施策のあゆみ」―オレンジプラン・新オレンジプラン
- 一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)「認知症とともに生きる希望宣言」
- 一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)「本人にとってのよりよい暮らしガイド」新版2026
※本稿では、柿右衛門の陶磁器史として史料・公式資料から確認できる事実と、「夕日に映える柿の実」など認知症サポーターの色の由来として公的資料で紹介されている説明を区別して記載しています。また、オレンジリングについては「廃止」とせず、2021年度以降、全国一律配布から実施主体によるカード等を中心とした運用へ移行したものとして整理しています。研究知見についても、特定地域・特定研究で確認された結果を全国一律の評価へ拡張しないよう留意しています。


