虐待は、突然に起こるのか。高齢・障害福祉から考える「虐待防止の意味」
高齢・障害福祉の制度と現場から、虐待防止を「日常の支援」として考えます。
「虐待」と聞いたとき、どのような場面を思い浮かべるでしょうか。
施設の職員が利用者を叩く。強い言葉で怒鳴る。本人の意思に反して行動を制限する。
ニュースで報じられる虐待事案から、こうした施設内の出来事を思い浮かべる人も少なくありません。
しかし、虐待は施設の中だけで起きている問題ではありません。
虐待は、どこで確認されているのか
行政等が「虐待と判断した件数」を、高齢分野と障害分野で整理しています。 棒の長さは、それぞれの分野内で件数の大きさを相対的に示したものです。
対象となる人口やサービス利用者数、相談・通報、把握の仕組みが異なるため、 「家庭の方が危険」「施設の方が安全」といった比較はできません。 また、高齢者虐待防止法上の「養護者」は「自宅」という場所を示す区分ではなく、 高齢者を現に養護する家族、親族、同居人等を指します。
数字から分かること
- 虐待は施設内だけの問題ではない
- 家庭、施設、事業所、職場など、さまざまな関係の中で生じている
- 高齢分野と障害分野では、法律上の把握の枠組みに違いがある
数字だけでは分からないこと
- 家庭と施設のどちらが「危険」なのか
- 表面化していない虐待がどの程度あるのか
- 一つひとつの虐待が起きた背景や原因
では、虐待はなぜ起きるのでしょうか。
虐待には、法制度上の明確な線がある
虐待について考えるとき、最初に曖昧にしてはいけないことがあります。
虐待は、単なる「感じ方の違い」ではありません。
高齢者虐待防止法では、身体的虐待、介護・世話の放棄・放任、心理的虐待、性的虐待、経済的虐待が規定され、一般に5つの類型として整理されています。 障害者虐待防止法でも、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、放棄・放置、経済的虐待という5つの類型があります。 [3] [4]
制度の対象にも違いがあります。
高齢者虐待防止法では「養護者」と「養介護施設従事者等」による高齢者虐待が規定されています。
一方、障害者虐待防止法では、「養護者」「障害者福祉施設従事者等」に加えて、「使用者」による虐待も法律上の枠組みに位置づけられています。 [4]
そして重要なのが、通報です。
養介護施設従事者等が、自ら勤務する施設や事業所で、他の従事者による虐待を受けたと思われる高齢者を発見した場合には、市町村への速やかな通報が求められます。 障害分野でも、障害者福祉施設従事者等による虐待を受けたと思われる障害者を発見した場合には、市町村への通報義務があります。 [3] [5]
ここでのポイントは、 「虐待だと自分たちで確定してから通報する」という仕組みではない ということです。
厚生労働省の障害者福祉施設向け手引きでも、虐待であったかどうかは第三者が認定するものであり、事実が確認できていない段階でも通報できることが示されています。 [5]
虐待を見過ごさず、本人の安全と権利を守る。
ここには、越えてはいけない明確な線があります。
では、「虐待ではない」で終わってよいのか
一方で、福祉の現場の日常には、法律の条文だけでは整理しきれない場面があります。
本人が何度も同じことを尋ねるため、つい強い口調になってしまった。
忙しく、「あとでね」と言ったまま本人の訴えを聞けなかった。
転倒が心配だから、本人が希望する外出を最初から諦めてもらった。
「説明しても分からないだろう」と考え、本人を交えず支援方針を決めた。
これらを、個別の状況を確認せず、直ちに法律上の虐待だと断定することはできません。
しかし、
「虐待ではないから問題はない」
とも言い切れないはずです。
本人の意思より、支援する側の都合が優先されていないか。
安全を守るための支援が、本人の生活や選択肢を必要以上に狭めていないか。
本人のためだと思って行っている支援が、いつの間にか本人の尊厳を傷つけるものになっていないか。
虐待防止を考えるためには、虐待という「結果」だけを見るのではなく、 その手前にある日常の支援 にも目を向ける必要があります。
「不適切なケア」「不適切な対応」という言葉が使われることもあります。
ただし、それ自体が法律上の新たな虐待類型というわけではありません。
大切なのは、誰かを「不適切な職員」と決めつけるためではなく、
「この支援は、本当に本人中心になっているだろうか」
と振り返るための視点として捉えることです。
厚生労働省の障害者虐待防止の手引きでも、虐待防止委員会が事故や不適切な対応事例を含めて確認し、職員一人ひとりが日頃の支援を振り返りながら、小さな出来事から虐待の芽を摘むことの重要性が示されています。 [5]
支援する側には「力」がある
福祉の支援には、一つの構造的な特徴があります。
支援する側が、本人より多くの情報や権限を持ちやすいということです。
いつ食事をするのか。どこへ出かけるのか。どのサービスを利用するのか。何を危険と判断するのか。どのような生活を本人に勧めるのか。
もちろん、生活を支えるために必要な判断はあります。
しかし、その判断を行う立場にいるということは、それだけ本人の生活へ影響を与える「力」を持っているということでもあります。
本人が言葉で意思を伝えにくい場合や、認知症、知的障害などによって意思が周囲から理解されにくい場合には、その力の差はさらに大きくなることがあります。
だからこそ、 「本人のためだから」という善意だけでは十分ではありません。
本人は、どうしたいのか。
その行動には、どのような意味があるのか。
別の支援方法はないのか。
本人自身が選べる状態になっているのか。
支援者には、自分たちが持つ力を自覚し、その力を本人の権利を守る方向へ使うことが求められます。
虐待防止は、ここで権利擁護、意思決定支援、アドボカシーとつながります。
虐待を「その職員だけの問題」にしない
では、施設や事業所で虐待が起きたとき、その原因は、虐待を行った職員個人だけにあるのでしょうか。
令和6年度の高齢者虐待調査では、養介護施設従事者等による虐待の発生要因として、次の項目が上位に挙げられています。 なお、複数回答による集計です。 [1]
ここから見えてくるのは、虐待の背景には個人の知識や倫理、感情のコントロールだけでなく、組織の管理体制も関係しているということです。
もちろん、
「忙しかったから仕方がない」
「人手不足だったから虐待してしまった」
という説明で虐待が正当化されることはありません。
まず守らなければならないのは、被害を受けた本人の安全と権利です。
そのうえで、虐待を行った職員だけを処分して終われば、同じ問題を生み出す構造が組織の中に残る可能性があります。
支援に必要な知識や技術は十分だったのか。
難しい支援を一人の職員に抱えさせていなかったか。
困ったときに相談できる環境があったか。
職員同士が支援への違和感を言葉にできる関係だったか。
管理者は現場の状況を把握できていたか。
虐待防止は、職員個人の倫理を問う問題であると同時に、組織のあり方を問う問題でもあります。
家庭で起きる虐待も、「悪い家族」だけでは捉えられない
同じことは、養護者による虐待にも言えます。
令和6年度の養護者による高齢者虐待の発生要因では、被虐待者側の「認知症の症状」が58.1%、虐待者側では「介護疲れ・介護ストレス」が57.2%、「理解力の不足や低下」が49.6%、「知識や情報の不足」が49.1%などとなっています。 こちらも複数回答です。 [1]
だからといって、家族による虐待を「仕方がないもの」として扱ってよいわけではありません。
まず必要なのは、本人の安全を守り、虐待を止めることです。
そのうえで、介護負担を軽減する。家族を孤立させない。必要な介護サービスや相談支援につなぐ。認知症や障害について理解できるよう支える。
そうした養護者への支援が必要になる場合があります。
実際、高齢者虐待防止法の正式名称は、
「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」
です。
法律そのものが、高齢者を虐待から守ることだけでなく、養護者への支援も位置づけています。 [3]
虐待した人を責めるだけでは、虐待を止められない場合がある。
ここにも、虐待防止の難しさがあります。
だから制度は「組織として防ぐこと」を求めている
現在の介護・障害福祉制度は、虐待防止を職員一人ひとりの心がけだけには任せていません。
介護分野では、対象となるサービスについて、虐待の発生または再発を防止するための委員会、指針の整備、研修の実施、担当者の配置などの措置が求められており、必要な措置が講じられていない場合には「高齢者虐待防止措置未実施減算」が設けられています。 [6]
障害福祉サービス等でも、虐待防止委員会の定期的な開催と結果の周知、虐待防止研修、担当者の配置が求められ、令和6年度報酬改定では、虐待防止措置未実施減算が設けられました。 [7]
しかし、
「減算になるから委員会を開く」
ことが、虐待防止の目的ではありません。
研修を実施した。
委員会を開催した。
議事録を残した。
それだけで虐待が防げるわけではないからです。
厚生労働省の障害者虐待防止の手引きでは、虐待防止委員会の役割として、「虐待防止のための計画づくり」「虐待防止のチェックとモニタリング」「虐待や不適切な対応事例が発生した後の検証と再発防止策の検討」が示されています。
さらに、職場環境、人員配置、相談体制、職員のストレスなども確認の対象として示されています。 [5]
日々の支援を振り返り、気になる対応を共有し、組織の課題を見つけ、必要な改善につなげる。
制度と現場は、本来ここでつながっています。
「少し気になる」と言える職場をつくる
虐待防止のために必要なのは、虐待をした人を見つける仕組みだけではありません。
「今の対応、少し気になるな」
と職員が言えること。
新人職員が、ベテラン職員の支援に疑問を感じたとき、それを口にできること。
難しい利用者支援を、一人だけに背負わせないこと。
職員自身が限界になる前に、
「少し助けてほしい」
と言えること。
こうした環境も、虐待防止の重要な土台です。
厚生労働省の障害者虐待防止の手引きでも、上司へ相談しにくい雰囲気や、職員が支援上の課題や悩みを抱え込むような閉鎖的な職場環境が虐待の背景になり得ることが示されています。
そのうえで、支援について日頃から相談できる体制や、小さな気づきを組織の中で共有できる「風通しのよい職場づくり」の必要性が示されています。 [5]
職員を守ることと、利用者の権利を守ることを単純に同じものとして扱うことはできません。
しかし、職員の孤立や疲弊を放置しないことは、虐待を生み出しにくい組織をつくるうえで重要です。
虐待防止のために、日常の支援で確認したい6つの視点
虐待防止は、「虐待をしない」より少し広い
虐待が疑われたときには、本人の安全を確保し、必要な通報や対応を行う。
これは、虐待対応の基本です。
しかし、虐待防止は、虐待が起きた瞬間から始まるものではありません。
日常の支援を振り返ること。
本人の声を聞くこと。
本人が選べる環境をつくること。
職員同士が違和感を共有すること。
困難な支援を一人に抱え込ませないこと。
そして、同じ問題を繰り返さない仕組みを、組織としてつくること。
その一つひとつが、虐待防止につながっています。
目指すのは、単に「虐待のない施設・事業所」であることだけではありません。
本人の尊厳が守られ、本人の意思が支援の中心に置かれること。
そして、支援する側も、迷いや困りごとを共有し、支援を振り返ることができること。
法律、委員会、研修、通報制度。
一見すると、これらは制度やコンプライアンスの話に見えるかもしれません。
けれど、その先にある目的は一つです。
本人が、一人の生活者として尊重されること。
制度として求められている虐待防止を、日々の支援へつなげていく。
虐待防止とは、そのための実践なのではないでしょうか。
一次資料・参考資料
本記事は、主に厚生労働省の公表資料、法令、国マニュアルをもとに制度と現場実践を整理しています。
- 厚生労働省|令和6年度「高齢者虐待防止法」に基づく対応状況等に関する調査結果 養護者による虐待17,133件、養介護施設従事者等による虐待1,220件、虐待発生要因などの根拠資料。 令和8年2月20日に一部訂正が行われており、厚生労働省サイトには訂正後のデータが掲載されています。 厚生労働省の公表ページを確認する / 調査結果(資料1・PDF)を確認する
- 厚生労働省|令和6年度 都道府県・市区町村における障害者虐待事例への対応状況等 養護者による虐待2,503件、障害者福祉施設従事者等による虐待1,267件、使用者による虐待434件などの全国集計。 厚生労働省の公表ページを確認する
- 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律 高齢者虐待の定義、養護者・養介護施設従事者等の位置づけ、通報、養護者支援等の法的根拠。 厚生労働省法令ページを確認する
- 厚生労働省|障害者虐待防止法 養護者、障害者福祉施設従事者等、使用者による虐待の枠組み、通報義務などを確認できます。 厚生労働省の障害者虐待防止ページを確認する
- 厚生労働省|障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き(令和6年7月) 通報義務、虐待防止委員会、研修、不適切な対応事例の検証、職場環境、ストレス、風通しのよい職場づくり、身体拘束等を整理した施設・事業所向けマニュアル。 施設・事業所従事者向け手引き(PDF)を確認する / 関連資料一覧を確認する
- 厚生労働省|高齢者虐待防止に資する研修・検証資料等/令和6年度介護報酬改定 高齢者虐待防止措置、委員会、指針、研修、担当者、高齢者虐待防止措置未実施減算などの制度資料。 厚生労働省の関連資料を確認する
- 厚生労働省|令和6年度障害福祉サービス等報酬改定 虐待防止委員会、定期的な研修、担当者配置、虐待防止措置未実施減算などの制度根拠。 令和6年度障害福祉サービス等報酬改定を確認する
- 厚生労働省|市町村・都道府県における高齢者虐待への対応と養護者支援について(令和8年3月改訂) 高齢者虐待の未然防止、早期発見、事実確認、養護者支援、養介護施設従事者等による虐待対応などを整理した最新の国マニュアル。 令和8年3月改訂の国マニュアルを確認する


