ソーシャルワークの専門性とは|本人の声と「立場の非対称性」から考える
RESEARCH ESSAY
ソーシャルワークでは、「本人主体」「自己決定」「本人の声を聴く」ことが重視されます。 しかし、本人が話したことと、その語りが「信頼できる知識」として扱われることは同じではありません。 さらに、その知識が実際の意思決定を動かすこととも違います。
本稿では、当事者知と専門知、認識的不正義、認知・感情・コーピング研究、ストリートレベル・ビューロクラシー、組織論、EBPを横断しながら、 「誰の知が、どのような条件のもとで意思決定に用いられているのか」を考えます。
誰の知が「知識」になるのか
まず、本人知と専門知の関係そのものを問い直します。 「どちらが正しいか」ではなく、「異なる知にどの程度の重みが与えられているのか」を考えます。
1.「本人の声を聞く」だけで、本人主体と言えるのか
架空事例:Aさんの「家へ帰りたい」
認知症の診断を受けているAさんが、施設ではなく「自分の家へ帰りたい」と話しています。 家族は一人暮らしは危険だと言います。Aさんには転倒歴があり、服薬管理にも不安があります。 専門職は認知機能、ADL、家族の介護力、利用できる社会資源を確認し、「現状のままでは在宅生活のリスクが高い」と評価しました。
会議録には「本人意向:自宅へ戻りたい」と記録されています。
本人の声は、確かに聞かれています。
では、その声は支援方針を考えるうえで「知識」として扱われたのでしょうか。
日本ソーシャルワーカー連盟の「ソーシャルワーカーの倫理綱領」は、自己決定の尊重だけでなく、 クライエントが自らの人生に影響する意思決定へ参加すること、必要な情報を分かりやすく提供すること、 さらに組織の方針や規則が倫理的実践を妨げる場合には改善を働きかけることまで専門職の責任として位置づけています。 ソーシャルワーカーの倫理綱領
「本人に聞いた」という手続だけでは、参加が実質化しているとは限りません。
2.本人の知と専門職の知は、同じものではない
本人と専門職のどちらが「正しいか」と考える前に、そもそも両者が持つ知識は同じ種類なのかを確認する必要があります。
本人は、自分が何を苦しいと感じているのか、何を失いたくないのか、何を大切にしているのか、 ある支援をどう経験しているのか、自分にとって「家へ帰る」とは何を意味するのかについて第一人称的な知を持っています。
一方、専門職は、法制度、社会資源、研究エビデンス、支援技術、リスク、類似事例、専門職倫理などについて学び、実践経験を蓄積しています。
黒田文(2024)は、当事者の知と制度的援助専門職者の専門知を「完全には同じではない知」として捉え、 両者を二項対立させるのではなく、対話を通して共同・協働的に運用する必要を論じています。 また、その前提として、専門職側が自らの知と、それに伴う力のあり方に省察的である必要を指摘しています。 J-STAGEで確認する
したがって問うべきなのは、「本人と専門職のどちらが上か」ではありません。
「誰が、何について知っているのか」。そして、「何については知らないのか」。 さらに、それぞれの知識が意思決定の場でどの程度の重みを与えられているのか。
本稿でいう「立場の非対称性」は、この最後の問題を含んでいます。
3.「知っている人」として扱われない――認識的不正義
この問題を考える重要な概念が、Miranda Frickerの「認識的不正義(epistemic injustice)」です。
Frickerが扱ったのは、人が情報を持っているかどうかだけではありません。 その人が「知る主体」として公正に扱われるかという問題です。
その一つが「証言的不正義(testimonial injustice)」です。 これは、話の内容そのものではなく、話し手に対する偏見によって、その人の信用性が不当に低く評価されることを意味します。 Frickerの原典を確認する
福祉実践で考えるなら、 「認知症だから」「精神疾患があるから」「知的障害があるから」「依存症だから」「子どもだから」 という属性が、発言内容を検討する前から信用性を割り引く方向へ作用していないか、という問いになります。
もちろん、認知機能や精神症状が記憶や判断に影響する場合はあります。 しかし「認知症がある」ことと、「だから『家に帰りたい』という語りはあまり重視しなくてよい」ことの間には、 本来検討すべき過程があります。
Frickerが論じるもう一つの類型が「解釈的不正義(hermeneutical injustice)」です。 これは、ある人が自らの経験を理解し、他者へ伝えるための共有された解釈資源そのものに不公正な欠落がある問題です。 解釈的不正義の原典を確認する
ソーシャルワークでは、専門職は本人の語りを専門的な概念へ翻訳します。
しかし、 「本人の経験を理解するために専門概念を使うこと」と、 「専門概念に入る部分だけを本人の経験として認めること」は異なります。
後者になれば、本人を理解しているようでいて、「制度や専門職が理解可能な本人像」を作っている可能性があります。
4.実際の面接では何が起こり得るのか
Leeら(2019)は、精神病経験のある1人のクライエントと1人のソーシャルワーカーによる外来精神保健機関での録音セッションを分析しました。
その限定を踏まえても、この研究では、専門職の発話が本人の証言を制度上のアジェンダに沿う形で構成し、 本人の生きられた経験を先取りするような相互作用が示されています。 同時に、本人側にもそれに抵抗するやり取りが確認されています。 Leeら(2019)を確認する
重要なのは、「専門職が本人の話を聞いたか」だけではありません。
誰の言葉で経験が意味づけられたのか。 誰の解釈が正式な記録になったのか。 どの語りが、その後の支援判断に利用されたのか。
5.Voice → Recognition → Influence
本人参加についても同じ問題があります。
本人に発言してもらう。意向確認欄を作る。会議へ本人を招く。当事者委員を置く。 これらは重要です。
しかしParsell、Kuskoff、Constantine(2024)のスコーピングレビューでは、1990~2022年の研究から1,877件を特定し、 包含基準を満たした110研究を分析した結果、生きられた経験(lived experience)が実践・研究・教育に重要な貢献をする一方、 形式的・名目的な参加(tokenism)、スタッフ側の偏り、官僚的障壁、立場の不均衡なども報告されています。 Parsellら(2024)を確認する
NewbiggingとRidley(2018)も、精神保健領域の独立アドボカシーを認識的不正義から分析し、 本人の証言が認められることには貢献し得る一方、より深い解釈上・制度上の不均衡を変えることの難しさを示しています。 PubMedで確認する
そこで本稿では、本人参加を次の三段階として整理します。
これは既存の検証済み尺度ではなく、本稿の論証を整理するための分析上の枠組みです。
Aさんが「家へ帰りたい」と言えたならVoiceはあります。 しかし「本人はそう言っていますが、認知症なので現実的ではありません」で終われば、 Recognitionが十分だったかは疑問です。
さらに、その希望を起点として支援方法やリスク軽減策を再検討することすらなければ、Influenceも限られます。
この「発言の機会」と「意思決定への影響」を区別する問題意識は、 Arnstein(1969)が市民参加を、単なる参加機会ではなく意思決定へ及ぼす力から捉えた「参加のはしご」とも接点があります。 ただし、本稿の三段階をArnsteinから直接導いたものではありません。 Arnstein(1969)を確認する
本人の語りは、どのような条件で生まれるのか
「うまく話せない」「話が変わる」「感情的になる」「支援を断る」。 それらを本人の能力や性格だけへ帰属する前に、人が考え、語る条件を検討します。
6.「うまく話せない」は本人の能力だけの問題なのか
本人の説明が曖昧だったり、話が前後したりすると、その原因を本人の内部へ求めやすくなります。
「理解力が低い」「記憶が曖昧」「判断能力が低下している」。
しかし、人間の認知は常に同じ条件で発揮されるわけではありません。
Shields、Sazma、Yonelinas(2016)のメタ分析では、急性ストレスはワーキングメモリと認知的柔軟性を損なう傾向を示しました。 一方、抑制機能への影響は一様ではありません。 Shieldsら(2016)を確認する
Shieldsら(2017)は113研究・6,216人を統合し、急性ストレスとエピソード記憶との関係を検討しました。 その結果は単純な「ストレス=記憶低下」ではなく、記銘や検索との時間的位置などによって影響が異なるというものでした。 Shieldsら(2017)を確認する
DickersonとKemeny(2004)が208の実験研究を統合した研究も、 自分の能力等が他者から否定的に評価され得る「社会的評価脅威」と、自分で結果を制御しにくい条件が、 強いストレス反応と関係することを示しています。 Dickerson & Kemeny(2004)を確認する
すると問いは、「この人は意思決定できるか」だけではなくなります。
「どのような条件なら、この人は自分の意思を最もよく考え、形成し、表明できるのか」。
能力そのものだけではなく、能力が発揮される条件まで見るということです。
7.感情は「ノイズ」なのか
本人が怒っている。泣いている。強く不安を訴えている。
そのとき、「感情的だから、冷静になってから判断した方がよい」と言われることがあります。
強い感情が意思決定へ影響することはあります。 しかし感情心理学では、感情は単なる理性の妨害物ではありません。
YeoとOng(2024)は309研究・251報告・2,634効果量を統合し、 47種類の認知的評価と63種類の感情との853の関係を検討しました。 その結果、出来事をどのように意味づけるかという認知的評価と感情との間に体系的な関連が示されています。 Yeo & Ong(2024)を確認する
Angieら(2011)のメタ分析も、同じネガティブ感情であっても、怒りと恐怖など異なる感情は、 判断や意思決定へ異なる影響を持ち得ることを示しています。 Angieら(2011)を確認する
だからといって、感情が「事実」になるわけではありません。
Aさんが怒っていることは、「在宅生活は安全だ」という証明ではありません。
しかし、自分の生活を自分で決められない感覚、大切なものを失う感覚、尊厳を傷つけられた経験を知る情報である可能性があります。
感情を事実と同一視しない。 しかし、ノイズとして排除もしない。
本人が状況をどう経験し、意味づけているかを知る情報として扱う必要があります。
8.「支援拒否」「意欲がない」というカテゴリー
電話に出ない。面接を断る。サービスを断る。「何でもいい」と言う。
こうした行動が「支援拒否」「意欲低下」「問題認識に乏しい」と整理されることがあります。
もちろん、本当に支援を望んでいない場合もあります。
しかしCheng、Lau、Chan(2014)のメタ分析では、 状況に応じて対処方法を調整する「コーピング柔軟性(coping flexibility)」と心理的適応との間に関連が確認されています。 一方、その関連はコーピング柔軟性の定義によっても変化します。 Chengら(2014)を確認する
ここから「支援拒否は適応的コーピングだ」と結論づけることはできません。
むしろ大切なのは、 「なぜ今、この人にはこの行動が必要になっているのか」 という問いを残すことです。
専門職のカテゴリーは、複雑な状況を整理するために役立ちます。 しかし、カテゴリーが説明になる瞬間と、問いを止めてしまう瞬間があります。
9.なぜ「統制可能性」を考えるのか
ここで統制可能性の研究を取り上げるのは、本人が単に「選べるか」ではなく、 「自分の意思表明が結果へ影響すると経験できるか」というInfluenceの問題を考えるためです。
Baratta、Seligman、Maier(2023)は、主として動物研究を踏まえ、 従来の学習性無力感の説明を「無力感の学習」だけではなく、 自分の行動によって結果を変えられる「制御可能性」を検出・学習する過程から再整理しています。 Barattaら(2023)を確認する
それでも、この研究は一つの問いを残します。
本人主体とは、「AかBか、どちらにしますか」と選択肢を示すことだけなのでしょうか。
Voiceが存在していても、その意思が現実へ影響しなければInfluenceはありません。
「本人に選んでもらったこと」と、 「本人の意思が実際の結果へ影響し得ること」は分けて考える必要があります。
専門職の判断は、どのような制度の中で生まれるのか
「専門職が制度側へ寄る」のは、個人の価値観だけの問題なのでしょうか。 専門職の認知、裁量、組織、官僚制、リスク、制度的ロジックをつなげて考えます。
10.専門職も認知と感情の外側にはいない
専門性を持てば、人間の認知の特性から自由になるわけではありません。
経験は重要です。 多数のケースを経験することで、専門職は重要な徴候を早く見つけ、複雑な情報を整理できます。
しかし、その経験から形成された枠組みは、次の本人を見るレンズにもなります。
最初に「認知症」「支援拒否」「家族依存」「困難ケース」「リスクが高い」という理解が成立すると、 その後の情報が、その理解を補強する材料として読まれる可能性があります。
専門知は本人を理解する道具です。 しかし、専門知によって作られた本人像が固定すれば、新しい本人の語りが入る余地を狭めることもあります。
したがって専門性とは、「私は専門職だから客観的である」ことではありません。
「専門職である自分の判断にも、経験、仮説、感情、所属組織、利用可能な資源が影響している」 と知り、それを点検することも専門性の一部です。
11.なぜ専門職は制度側へ寄るのか
専門職側の問題を、認知バイアスや個人の価値観だけで説明するのも不十分です。
専門職は制度の外側で自由に判断しているわけではありません。
その点を考える中心概念が、Michael Lipskyの「ストリートレベル・ビューロクラシー(street-level bureaucracy)」です。
社会福祉職、教員、警察官など、市民と直接接しながら一定の裁量を持つ第一線職員は、 政策を機械的に実施するだけではありません。
誰を優先するのか。 どこまで支援するのか。 どの情報を重く見るのか。 制度をどう解釈するのか。
その日々の判断によって、政策は現場で具体化します。
Evans(2011)は、ソーシャルワーカーをストリートレベルの官僚として理解することの有効性を認めながら、 Lipskyだけでは「専門職性」が裁量へ及ぼす影響を十分に説明できないと論じています。 Evans(2011)を確認する
専門職は「制度を実施する人」でありながら、「専門職として判断する人」でもあります。
12.制度へ寄るのは「本人中心という価値を持っていないから」なのか
2025年にEdri-PeerとCohenが発表したsystematic reviewは、この問題へ重要な示唆を与えます。
PRISMAに基づいて165研究をレビューした結果、 86%の研究が第一線職員へ影響する要因として組織的要因に言及していました。 環境的要因への言及は62%でした。 Edri-Peer & Cohen(2025)を確認する
また、個人的要因に触れる研究自体は多く存在したものの、 レビューでは既存の個別コーピング行動との明確な関連は確認されませんでした。 著者らは個人的要因が重要でないとはしていませんが、 第一線の裁量的判断を理解するうえで、組織的圧力の重要性を強く指摘しています。
本人を丁寧に支援したいと思っている専門職であっても、 ケースロード、記録期限、人員不足、利用できる社会資源、事故時の説明責任、管理者の承認といった条件によって実践は変わります。
「制度側へ寄る専門職」を、本人中心という価値を持たない人として説明するだけでは不十分なのです。
13.官僚制は悪なのか
だからといって、「制度や官僚制をなくせばよい」とも言えません。
Pascoe、Waterhouse-Bradley、McGinn(2023)は39本の質的研究を統合し、 ソーシャルワーカーが官僚制や管理主義(managerialism)をどのように経験しているかを検討しました。
リスク管理(risk management)、標準化、説明責任、書類作成、手続遵守などが、 本人との意味のある関与(meaningful engagement)を圧迫するという否定的経験が多く確認されています。 一方、官僚的仕組みについて肯定的な経験も少数ながら報告されています。 Pascoeら(2023)を確認する
規則には、公平性を保つ、権利侵害を防ぐ、必要事項の漏れを減らす、判断を説明可能にするという意味があります。
したがって問いは「制度か、本人か」ではありません。
制度が何を守っているのか。 同時に、制度によって何が見えにくくなっているのか。
14.制度は本人を「見つける」だけでなく、本人像を構成する
ここでHasenfeldのヒューマンサービス組織論が重要になります。
Hasenfeld(2000)は、人の行動を変えることを目的とするヒューマンサービス組織は不可避的に 「道徳的実践(moral work)」を行うと論じています。 組織は中立的な容器ではなく、社会で支配的な価値や道徳的前提を、組織構造や実践へ組み込みます。 Hasenfeld(2000)を確認する
またSchneiderとIngram(1993)の政策対象集団(target population)の社会的構成論は、 政策が対象者をただ発見しているだけでなく、「どのような人々なのか」という社会的構成を政策内部へ組み込むことを論じました。 Schneider & Ingram(1993)を確認する
ソーシャルワークでは、複雑な人生が、 「要介護3」「虐待リスク高」「支援拒否」「認知症」「就労可能」「困難ケース」などのカテゴリーへ変換されます。
分類すること自体は必要です。 制度を使い、資源を動かすには一定の分類が必要だからです。
Aさんは、制度の中でどう見えるのか
Aさんの「家に帰りたい」という経験が、 「認知症」「独居」「転倒歴」「服薬管理困難」「家族支援困難」 という情報だけへ翻訳されたとき、「帰りたい」という経験の意味がこぼれ落ちる可能性があります。
制度は、本人を理解する手段であると同時に、 「制度上理解可能な本人」を構成する仕組みにもなり得ます。
15.一人の専門職の中に、複数の「正しさ」が存在する
この葛藤を説明するのが「制度的ロジック(institutional logics)」という視点です。
Wollter(2020)は、ソーシャルワーカーの理想型として、 「専門職(professional)」「官僚(bureaucrat)」「管理者の指示を実行する者(executor of management directives)」 という三つを整理しています。 Wollter(2020)を確認する
一人のソーシャルワーカーの中に、 「Aさんの希望を支えたい」 「専門職として転倒リスクを無視できない」 「このサービスは制度上利用できない」 「組織としてこのリスクは承認できない」 が同時に存在し得ます。
どれか一つだけが本音で、他が偽物なのではありません。 専門職自身が異なる制度的要求の交点にいます。
16.「規則どおり」が合理的になる環境
ここにはリスクと説明責任の問題もあります。
Munro(2019)は児童保護領域において、 不確実性の高い判断を個人の失敗として懲罰的に扱う文化が、 専門職を防衛的な実践へ向かわせ得ると論じています。
必要なのはエラーを容認することではなく、 その判断がなされた時点で何が分かっていたのか、どのような組織条件があったのかを学習できる 「公正で学習する文化(just and learning culture)」です。 Munro(2019)を確認する
本人の希望を踏まえて裁量を使った結果、事故が起きた。 そのとき「なぜ規則から外れたのか」と問われる。
一方で「規程どおり対応しました」なら説明しやすい。
こうした環境では、制度遵守は単なる責任逃れではなく、専門職自身にとって合理的な選択になり得ます。
立場の非対称性は一方向ではありません。
本人との関係では専門職側に制度的な強さがある。 しかし専門職も、組織、行政、監査、法制度、社会的批判との関係では制約されています。
17.それでも専門職は制度の歯車ではない
では、「制度がそうなっているから仕方ない」のでしょうか。
そうではありません。
日本の生活保護行政を分析した関智弘(2012)は、 ケースワーカーが標準作業要領(SOP)と専門性の双方に依拠しながら裁量を行使していることを示しています。 関智弘(2012)を確認する
専門職は制度の外には立てません。
しかし、制度を現場で具体化しているのも専門職です。
どのように説明するか。 別の解釈を探すか。 別の資源を検討するか。 本人の語りを会議でどう位置づけるか。 制度上の矛盾を組織へ伝えるか。
そこには、なお専門職実践があります。
日本のソーシャルワーカー倫理綱領も、 組織の方針や業務命令が倫理的実践を妨げる場合に改善を提言すること、 必要な組織改革や社会への働きかけを行うことを位置づけています。
制度に埋め込まれていることと、制度の単なる歯車であることは同じではありません。
異なる知をどう扱うのか――専門性を考え直す
本人知と専門知を競争させるのではなく、それぞれが何を示し、誰が意味づけ、 どのように意思決定へ統合するのかを考えます。
18.EBPは「研究の方が本人より正しい」という考え方ではない
Evidence-Based Practice(EBP)は、ときに 「研究で効果が確認された方法を専門職が本人へ適用すること」 と理解されます。
しかしDoddとSavage(2016)は、 最善の研究エビデンス、本人のニーズ・価値・選好、実践者の知恵、理論を、 本人、組織、地域文化という文脈の中で統合するものとしてEvidence-Informed Practiceを整理しています。 Dodd & Savage(2016)を確認する
McNeill(2006)も、研究エビデンス、専門職の専門性・価値、本人の価値・期待を、 組織の使命や法的・環境的条件の中で統合するものとしてEBPを論じています。 McNeill(2006)を確認する
したがって、「研究エビデンスか、本人の希望か」という二択そのものが不十分です。
しかし、もう一つ重要な問題があります。
誰が、それらを統合するのでしょうか。
専門職が研究、本人の経験、家族情報、制度条件を集め、 最終的に専門職だけが「これは信用できる」「これは重要ではない」と順位づけるなら、 本人の価値や経験は形式的にはEBPに含まれていても、実質的には参考情報へ後退する可能性があります。
EBPを本人中心で考えるなら、「何を根拠とするか」だけでなく、 「誰が意味づけ、誰が意思決定へ参加するのか」まで問う必要があります。
19.本人と専門職は「対等」なのか
本人と専門職は、人としての価値において対等です。
しかし、制度上の立場は対称ではありません。
専門職は、記録を書く。評価を行う。会議で専門職として発言する。 制度情報へアクセスする。社会資源への入口を知っている。リスクを評価する。
そして、その言葉が「専門的判断」として扱われます。
同じテーブルに座っていても、この立場の違いはなくなりません。
だから「対等です」と言って非対称性を見えなくすることより、 「非対称性があるからこそ、その立場をどう使うのか」が重要になります。
専門職の持つ立場を、本人の経験を押しのけるために使うのか。
それとも、本人が理解し、考え、表現し、その意思を現実の意思決定へ届けるために使うのか。
20.「客観的データ」は本人の経験より上位なのか
最後に、脳神経科学を一つの補助線として使います。
認知神経科学には、観察された脳活動から特定の心理状態を推論する 「逆推論(reverse inference)」の問題があります。
Poldrack(2011)は、ある脳領域が活動したという事実から、 特定の心理過程が存在すると単純に結論づけることの限界を整理しています。 Poldrack(2011)を確認する
痛み研究では、この問題がさらに分かりやすくなります。
Robinson、Staud、Price(2013)は、 神経画像が本人による痛み評価を置き換えられるのかを検討しました。
脳画像は痛みの神経機序を理解する重要な手段です。 しかし痛みは「経験」でもあるため、本人の自己報告を一般的に置き換えることはできません。 また、脳画像と自己報告のどちらか一方に認識論的優位性を与えるのではなく、 両者は異なる情報を与えるものとして扱うべきだと論じています。 Robinsonら(2013)を確認する
この指摘はソーシャルワークにも示唆的です。
本人の語り、行動観察、家族情報、認知機能検査、医学的診断、研究エビデンス。
これらは「最も本当の情報」を決めるために競争しているわけではありません。
それぞれ異なる問いへ答えています。
専門性とは、より「客観的」に見える情報によって本人の経験を上書きすることではなく、 それぞれの情報が何を示し、何を示していないのかを区別することでもあります。
21.もう一度、「家に帰りたい」へ戻る
Aさんの希望を「知」として扱うとは
Aさんが「家へ帰りたい」と言ったからといって、専門職が無条件で自宅へ帰すべきだということではありません。
転倒、服薬、夜間支援、家族の事情など、専門職には検討する責任があります。
しかし、「認知症があって転倒リスクが高いから、自宅は無理です」と結論づける前に、 転倒リスクをどこまで減らせるのか、訪問サービスを組み立てられるのか、 服薬管理を支援できるのか、住宅環境を変えられるのか、 本人はそのリスクをどう理解しているのかを考えることができます。
そして何より、Aさんにとって「家へ帰る」とは何なのかを確認できます。
専門知は、本人の希望を否定するためだけに使うものではありません。
本人の希望を、現実に検討できる選択肢へ変換するためにも使えます。
十分に検討した結果、自宅生活が成立しないこともあるでしょう。 本人の希望どおりにならないこともあります。
しかし、 最初から専門職判断が本人の語りより上位に置かれたのか。
それとも、本人の経験知と専門職知を持ち寄り、可能性と限界を検討した結果としてその結論に至ったのか。
結果が同じでも、ソーシャルワークとしての過程は大きく異なります。
22.では、ソーシャルワークの「専門性」とは何か
最初の問いへ戻ります。
支援者の専門性は、本人の語りより上位に置かれてよいのでしょうか。
ここまでの検討から、そのような単純な序列は導けません。
しかし、「本人が言ったことをそのまま採用すること」も専門性ではありません。
本人には本人にしか知り得ない経験があります。 専門職には専門職だからこそ持つ制度、研究、支援技術、社会資源についての知があります。
問題は、異なる知をどう扱うかです。
専門職が「私は制度を知っている」「研究を知っている」「リスクを知っている」という理由から、 「だから私は、あなたが何を経験し、何を大切にし、何を望むかまで、あなた以上に分かる」 と考え始めたとき、専門性はその境界を越えます。
反対に、「本人がそう言っているのだから、専門的検討は必要ない」とすることも、専門性の放棄です。
自分が何について知っているのかを理解する。 何については知らないのかを理解する。 自分の専門知が本人の語りより制度上強い位置を与えられやすいことを自覚する。
自分の判断に、経験、感情、組織、ケースロード、利用可能な資源、リスク、説明責任が影響していないかを点検する。
本人がうまく語れないとき、その原因を本人の能力だけに帰属しない。
そして必要なら、 「この人を、どう制度へ合わせるか」だけではなく、 「この制度は、この人の声を受け取れる形になっているのか」 と制度の側にも問いを返す。
そこまで含めて、ソーシャルワークの専門性と呼べるのではないでしょうか。
結論|「本人の声を聞く」は、終着点ではない
本人の知と専門職の知のどちらかを上位に固定することではなく、 それぞれが何を知り、何を知らないのかを理解すること。
そして、本人と専門職の間にある立場の非対称性を自覚しながら、 本人の経験が単に「聞かれる」だけではなく、知識として認められ、意思決定へ届く条件を整えること。
専門職自身も制度の中にいることを忘れず、 必要であれば本人を制度へ合わせるだけでなく、制度の側へ問いを返すこと。
本人の声を聞くことは、本人主体の完成ではありません。 その声を「知」としてどう扱うのかを考え始めるための出発点です。
実践への含意――自分の判断を問い直すための5つの問い
- 本人の声を「聞いた」ことだけで、本人参加が成立したと考えていないか。
- 本人がうまく語れない理由を、本人の能力や診断だけに帰属していないか。
- 最初に立てた専門職としての仮説に合う情報だけを拾っていないか。
- 「認知症」「支援拒否」「困難ケース」などの制度上・専門上のカテゴリーを、その人自身と混同していないか。
- 本人の希望を採用できなかったとき、その理由と、検討した代替案を本人へ説明できるか。
主要文献
本稿では、理論原典、実証研究、メタ分析・レビュー、公式資料を区別して参照しています。 以下は論証に直接用いた主要文献です。
認識的不正義・当事者知・参加
- 理論原典 Fricker, M. (2007). Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing. Oxford University Press. Oxford Academic
- 日本・理論研究 黒田文(2024)「ピアサポート活動で用いる当事者の知と制度的援助専門職者の知の共同(協働)的運用をめぐって――専門性をひらく省察的実践――」 『社会福祉学』64(4), 30–41. DOI: 10.24469/jssw.64.4_30. J-STAGE
- 実証研究 Lee, E., Tsang, A. K. T., Bogo, M., Johnstone, M., Herschman, J., & Ryan, M. (2019). Honoring the Voice of the Client in Clinical Social Work Practice: Negotiating with Epistemic Injustice. Social Work, 64(1), 29–40. DOI: 10.1093/sw/swy050. Oxford Academic
- スコーピングレビュー Parsell, C., Kuskoff, E., & Constantine, S. (2024). What is the Scope and Contribution of Lived Experience in Social Work? A Scoping Review. British Journal of Social Work, 54(8), 3429–3448. DOI: 10.1093/bjsw/bcae106. Oxford Academic
- 実証研究 Newbigging, K., & Ridley, J. (2018). Epistemic struggles: The role of advocacy in promoting epistemic justice and rights in mental health. Social Science & Medicine, 219, 36–44. DOI: 10.1016/j.socscimed.2018.10.003. PubMed
- 参加論・原典 Arnstein, S. R. (1969). A Ladder of Citizen Participation. Journal of the American Institute of Planners, 35(4), 216–224. DOI: 10.1080/01944366908977225. DOI
- 公式資料 日本ソーシャルワーカー連盟「ソーシャルワーカーの倫理綱領」(2020年改定)。 公式ページ
認知・感情・コーピング
- メタ分析 Shields, G. S., Sazma, M. A., & Yonelinas, A. P. (2016). The effects of acute stress on core executive functions: A meta-analysis and comparison with cortisol. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 68, 651–668. DOI: 10.1016/j.neubiorev.2016.06.038. PubMed
- メタ分析 Shields, G. S., Sazma, M. A., McCullough, A. M., & Yonelinas, A. P. (2017). The effects of acute stress on episodic memory: A meta-analysis and integrative review. Psychological Bulletin, 143(6), 636–675. DOI: 10.1037/bul0000100. PubMed
- メタ分析 Dickerson, S. S., & Kemeny, M. E. (2004). Acute stressors and cortisol responses: A theoretical integration and synthesis of laboratory research. Psychological Bulletin, 130(3), 355–391. DOI: 10.1037/0033-2909.130.3.355. PubMed
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