認知症の『徘徊』に手作業は有効?|介護現場の支援をエビデンスから考える

福祉教育ラボ|学びの整理

歩き回ることが続いている。

転倒も心配だし、ずっと付き添うのも難しい。

「何か手作業でもしてもらえば、少し落ち着くのではないか」

介護現場では、十分にあり得る提案です。

転倒を防ぎたいという思いもあります。 限られた職員で、ほかの利用者にも対応しなければならない事情もあります。

そして、手作業そのものが悪いわけでもありません。

本人が好きで、やりたいと望み、 これまでの生活ともつながり、 その時間を楽しんでいるのであれば、 それは意味のある活動になり得ます。

では、私たちは何を根拠に、 「この支援は本人にとってよいケアだった」 と判断しているのでしょうか。

この記事が問いたいのは、 「本人中心か職員都合か」を二者択一で判定することではありません。

必要なのは、 善意を疑うことではなく、 善意を検証可能にすること です。

1
理論 何を問い直す必要があるのかを考える
2
実証研究 現在、どこまで分かっているのかを確かめる
3
現場の観察 目の前の本人の場合、本当にそうなのかを検証する

本稿の位置づけ

本稿で扱う 「歩き続ける人に手作業を提案する」 という場面は、介護現場で起こり得る状況をもとに構成した思考上の事例です。

特定の施設について、 「手作業が本人の可能性を奪っている」 「職員が組織の都合で本人を座らせている」 と実証したものではありません。

本稿の目的は、そのような結論を先に置くことではなく、 「私たちの見立てを、何によって確かめるのか」 を考えることにあります。

ケアは「何をしたか」だけでは決まらない

ミルトン・メイヤロフは、 ケアを、他者が成長し自己実現していくことを助ける営みとして論じました。

この観点から見ると、 「手作業を提供した」という行為だけでは、 ケアの成否は決まりません。

本人にできることが増えたのか。
安心できたのか。
楽しめたのか。
人とのつながりが生まれたのか。
自分の生活を自分で営む可能性が広がったのか。

その後の生活まで含めて見る必要があります。

ジョアン・トロントは、 ケアを、必要に気づくこと、 責任を引き受けること、 実際にケアすることだけでなく、 ケアを受けた側の応答に注意を向ける過程として論じました。

提供する側が 「よかれと思ったこと」と、 受ける本人にとってよいケアだったことは、 同じではありません。

本人が手を止める。 席を立つ。 顔を背ける。 何度も出口を見る。

そうした行動を、 単に「集中できない」「落ち着かない」と処理する前に、

「この支援を、本人はどう受け取っているのだろう」

と問い返す材料にする必要があります。

アンネマリー・モルが論じた 「ケアの論理」も、 この点を考える助けになります。

一度本人に選択肢を示して 「選んでもらった」からといって、 それだけで自己決定が完成するわけではありません。

始められる。 断れる。 途中でやめられる。 別の方法へ移れる。 あとから選び直せる。

本人の発意から、 新しい選択肢が生まれる。

手作業と歩行の二択ではなく、 安全に歩ける経路をつくる、 外へ出る、 休める場所をつくる、 歩いている理由を一緒に探る。

そうした 実際の行為可能性を広げること も、意思決定支援の一部です。

ストレングスは「できる作業」の一覧ではない

「この人は折り紙ができる」

「タオルたたみならできる」

それだけで、 ストレングスを生かした支援になるわけではありません。

ストレングス・パースペクティブは、 人を問題や障害だけから捉えず、 本人の能力、経験、希望、関係、 地域資源、目標などへ目を向ける立場です。

一つの手作業を行ったからといって、 直ちに身体機能が低下したり、 本人の可能性が失われたりすると 断定することはできません。

本稿では、 一つの残存能力の活用によって 別の生活可能性が継続的に狭められているのであれば、 それを 「ストレングスを生かした支援」 と評価することには慎重であるべきだと考えます。

これはSaleebey自身の定義そのものではなく、 ストレングス・パースペクティブを介護実践へ接続した 本稿の規範的な判断 です。

だから評価するときには、

「何ができたか」だけではなく、
「この支援によって、何ができるようになったのか」
「反対に、どの機会が減っていないか」

まで見ていく必要があります。

では、研究では何が分かっているのか

ここまでの議論だけでは、 「理論上そう考えられる」 というところにとどまります。

そこで、 認知症の人への活動提供について、 実証研究が何を示しているのか確認します。

Cochrane Review

本人に合わせた活動は、agitationをわずかに減らす可能性

2023年のCochraneレビューでは、 介護施設で生活する認知症の人1,071人を含む11研究が検討されました。 そのうち10研究はランダム化比較試験です。

本人の現在または過去の興味や好みに合わせて活動を個別化した介入では、 agitationをわずかに減らす可能性が示されました。

ただし、エビデンスの確実性は低く、 代理評価によるQOLについては 通常ケアなどと比較してほとんど差がない可能性が示されています。

Cochrane|Personally tailored activities for people with dementia in long-term care

NICE Guideline

「何かをやってもらう」前に、背景を評価する

NICEは、認知症の人にagitationやaggressionなどの苦痛の兆候がみられる場合、 まず背景を構造的に評価することを求めています。

そのうえで、 本人の参加、楽しみ、興味につながる 個別化された活動を非薬物的支援の一つとして位置づけています。

NICE|Dementia: assessment, management and support

WHELD Trial

人中心のケアは「活動一つ」だけでは成立しない

英国69か所のケアホームで、 認知症のある847人を対象に行われた 9か月のクラスターランダム化比較試験では、 人中心のケアに関する職員研修、 社会的交流、本人に合わせた活動などを組み合わせた WHELD介入が検討されました。

QOLには統計的に有意な改善がみられ、 効果量はCohen's d=0.24と小さいものでした。 agitationや神経精神症状にも改善が確認されています。

ただし複合介入であるため、 「手作業だけ」の効果を示した研究ではありません。

PLOS Medicine|WHELD cluster-randomised controlled trial

研究から「言えること」と「言えないこと」

研究から示唆されること

  • 本人の好みや興味に合わせた活動は意味をもち得る
  • agitationをわずかに軽減する可能性がある
  • 人中心のケアは複数の要素の組み合わせとして考える必要がある

研究からは言えないこと

  • 「歩く人には手作業をさせればよい」という一般的処方
  • 手作業をしただけでQOLが上がるという結論
  • 手作業によって本人の可能性が必ず閉ざされるという結論
最終的には、 「この人の場合、本当にどうなのか」を、 本人の生活の中で観察して確かめる必要があります。

「歩いている人」は、どのように「問題」になるのか

専門職は、 すでに存在している問題を 中立的に発見するだけではありません。

何を問題と呼ぶのか。 原因をどこに置くのか。 誰が対応するのか。 何を介入対象とするのか。

その問題設定にも、 専門性は働いています。

アンドリュー・アボットは、 専門職の仕事を、 診断、推論、処置と、 それをめぐる 「管轄権」 の関係から論じました。

ここでいう管轄権は、 一人の専門職の認知の癖を指すだけではありません。

異なる専門職が、 「この問題は誰の専門領域なのか」 「どの知識によって説明するのか」 をめぐって形成する関係を含みます。

医療 薬剤、せん妄、疼痛などの可能性を見る
看護 排泄、睡眠、身体状態との関係を見る
リハビリ 身体活動、歩行能力、環境との関係を見る
介護 生活歴、日課、人間関係、普段の様子を見る

同じ 「廊下を何度も歩いている」 という事実でも、

「徘徊」
「不穏」
「転倒リスク」
「活動ニーズ」
「帰宅への思い」

どの言葉で捉えるかによって、 集める情報も、その後の対応も変わります。

「徘徊」という言葉が先に答えをつくらないために

「徘徊」という言葉は便利です。

しかし、 外から目的が分からないことと、 本人にとって意味がないことは同じではありません。

排泄かもしれない。 痛みがあるのかもしれない。 何かを探しているのかもしれない。 家へ帰ろうとしているのかもしれない。 騒がしい場所から離れたいのかもしれない。

一方で、 「きっと昔の仕事に行こうとしている」 と、支援者が美しい物語をつくってしまうことも避ける必要があります。

意味があると決めつけない。
意味がないとも決めつけない。

その間に、専門的な探究があります。

専門性は「自分で決められること」ではない

エリオット・フリードソンが論じた専門職の自律性は、 専門職が仕事の内容や評価について 一定の統制をもつことと関係します。

しかし、 「専門職なのだから、自分の判断で決めてよい」 という意味ではありません。

問題を定義する力があるということは、
その判断を説明する責任もある。

異論に開かれること。 本人や家族の知識を軽視しないこと。 根拠を示すこと。 結果が違えば修正すること。

これはFreidson自身の記述そのものではなく、 専門職の持つ力をケア実践から考えた 本稿の規範的な主張です。

組織の都合は、本人の問題へ翻訳されることがある

ここからは、 個人のケア技術だけでは見えにくい 組織の問題を考えます。

廊下を繰り返し歩いている
「転倒リスクの高い人」
付き添える職員が不足している
「本人が落ち着かない」
現在の体制で提供しやすい活動
「本人のストレングスを生かした活動」
見守りやすい位置で長時間座った
「今日は穏やかに過ごせた」

こうした翻訳は 起こり得ます。

しかし、 「介護施設では実際にこうなっている」 と本稿が断定しているわけではありません。

本当にその翻訳が起きているのかは、 記録、ケアプラン、会議、勤務配置、 本人の生活、職員への聞き取りなどから 検証する必要があります。

組織論は、 現場を裁くための証拠ではありません。

「何を調べる必要があるのか」 を示す、仮説生成の道具として使うものです。

人員不足という現実も同時に見る

厚生労働省は、 第9期介護保険事業計画に基づき、 介護職員について2022年度の約215万人に対し、 2026年度には約240万人が必要になると推計しています。

一方、 2024年10月1日時点の介護職員数は2,126,227人で、 前年から487人の増加でした。

必要数と実人数は、 時点や算出方法が異なるため、 単純に差し引いて 「何人不足」 とすることはできません。

それでも、 介護現場が人材確保という構造的圧力の中にあることは、 公的データからも確認できます。

「本人が困っていること」と、
「組織が困っていること」を、
一度分けて記述する。

それは誰かを責めるためではありません。

問題に合った支援を考えるためです。

「理念と実践のギャップ」だけを脱連結と呼ばない

MeyerとRowanの 「脱連結」 を使う場合にも注意が必要です。

新制度派組織論でいう脱連結は、 単に 「理念と現場が違っている」 という意味ではありません。

組織が制度環境から正当性を得るために採用した 公式の構造や制度と、 実際の日常活動とが 緩やかに切り離される現象を扱う概念です。

介護施設に応用するなら、 「本人中心」 「自立支援」 「尊厳」 と掲げていることだけでは、 脱連結があるともないとも言えません。

アセスメントでどう扱われているか。 ケアプランへどう反映されているか。 勤務配置はそれを可能にしているか。 会議では何が成果として評価されているか。 本人の拒否や選び直しはどう記録されているか。

そこまで見て初めて、 公式構造と実践の関係を検討できます。

「評価しやすいもの」がケアの目的になっていないか

転倒件数。 事故件数。 所在確認。 離席回数。

これらは比較的、記録しやすいものです。

一方で、

本人が自分から活動を始めたか。
途中でやめられたか。
昨日より選択肢が増えたか。
本人のためらいが尊重されたか。
誰かとの関係が生まれたか。

こうしたものは、 数値化しにくいものです。

Michael Powerの 「監査社会」 の議論は、 測定・監査しやすいものが 組織の中で前景化していく可能性を考える視点を与えます。

「測れるもの」と「大切なもの」は、 必ずしも一致しません。

組織が学び直すということ

Chris Argyrisの組織学習論を借りると、

「どういう手作業なら長く座っていられるか」

「どういう声かけなら歩行を止められるか」

と方法を改善することは、 現在の目標を変えずに手段を調整する シングルループ学習として捉えることができます。

一方、

なぜ「座っていること」を成功と考えているのか。
そもそも歩いていることを、誰の問題としているのか。
本人を変える前に、環境や勤務配置を変えられないか。

と問うことは、 目的や前提、評価基準そのものを問い直す ダブルループ学習につながります。

これは、 「歩行を止めてはいけない」 という結論ではありません。

問いたいのは、 支援方法だけを上達させ、 何を成功と呼ぶかを問い直さないままになっていないか ということです。

本人と環境は切り離せない。しかし責任まで曖昧にしない

人の行動は、 本人の内側だけから生まれるわけではありません。

廊下の構造。 扉の位置。 照明。 音。 温度。 職員の声かけ。 他者との距離。 身体の痛み。 排泄。 薬。 睡眠。 生活史。

多くの要因との関係の中で現れます。

そして支援者も、 完全に中立な観察者として その場の外に立っているわけではありません。

近づき方。 呼び止め方。 表情。 声の大きさ。 立つ位置。

そうした私たちの関わりも、 本人の次の反応に影響します。

ただし、 「相互作用なのだから、お互い様だ」 という話ではありません。

本人と専門職の持つ力は対称ではありません。

専門職には、 記録する力、 問題を命名する力、 選択肢をつくる力、 環境を調整する力があります。

パースは「正解」ではなく、訂正できる判断の方法を与える

では、 「思い込みではなく、その人を理解する」 ためには、どうすればよいのでしょう。

ここで、 Charles Sanders Peirceの探究論が役立ちます。

Peirceの可謬主義は、 「本当のことは分からない」 という諦めではありません。

現在の判断は誤っているかもしれない。

だから、 観察し、仮説を立て、 結果を確かめ、 必要なら考えを修正する。

1
観察と解釈を分ける

「不穏だった」ではなく、 「15時30分から玄関と居室の間を6往復した」 「玄関で靴を指さした」 など、できるだけ観察可能な事実を残します。

2
複数の仮説をつくる

帰宅、排泄、痛み、騒音、生活習慣、 身体活動、職員の関わりなど、 一つの物語へ飛びつかず複数の可能性を残します。

3
仮説から予測する

もし騒音が影響しているなら、 静かな場所では変化するかもしれない。 仮説が正しいときに起きるはずの変化を考えます。

4
結果を比較し、仮説を修正する

一度うまくいっただけで正解にせず、 別の日や別の職員でも確認します。 予測と違えば、本人ではなく仮説の方を修正します。

多職種連携は「全員一致」を目標にしない

多職種が集まれば、 自動的によい支援になるわけではありません。

医師。 看護職。 介護職。 リハビリ職。 相談職。 栄養職。

それぞれが違うものを見ます。

さらに、 本人と家族も、 その人の生活について 専門職にはない知識を持っています。

よい会議とは、 全員が一つの意見に納得する会議ではありません。

「私は違うように見えました」 と言える。

「その根拠は何ですか」 と尋ねられる。

本人の拒否が記録される。

家族の経験が周辺化されない。

一度決めたケアプランを、 後から変えられる。

合意をつくるだけでなく、 合意を訂正可能な状態にしておくこと が重要です。

現場で使うための七つの問い

すべてに答えを出すためのチェックリストではありません。

見立てを一度開き、 「次に何を確かめるのか」 を決めるための問いです。

1
記述

何を実際に観察したのか。 どこからが私たちの解釈なのか。

2
問題の所在

これは誰にとって、どのような問題なのか。 本人の困りごとと組織の困りごとは分けられているか。

3
言葉の作用

「徘徊」「不穏」「落ち着かない」という言葉は、 何を見えやすくし、何を見えにくくしているか。

4
意思と拒否

本人へ尋ねたか。 伝え方を変えたか。 拒否や中断は意思として扱われているか。

5
環境仮説

本人を変える前に、 空間、時間、人との距離、活動内容、関わり方、 勤務配置を変える仮説は検討したか。

6
予測と中止基準

この支援が本人に合っているなら何が起きるか。 何が起きたら中止・修正するのか。

7
選択可能性

本人が始める、断る、やめる、変更する、 選び直すという可能性は広がっているか。

七つすべてに、 すぐ答えを出す必要はありません。

「まだ分からない」 「次はここを見てみよう」

とチームで共有できれば、 ケアはすでに探究へ動き始めています。

福祉教育ラボの視点

専門性とは、誤りを訂正できるように組織すること

福祉は、心だけで行うものではありません。

けれども、 理論をたくさん知っていれば専門的になるわけでもありません。

研究論文を引用すれば、 目の前の人への支援が 自動的に正しくなるわけでもありません。

理論には、 問いをつくる役割があります。

実証研究には、 何がどの程度分かっているのかを示す役割があります。

そして現場の観察には、

「この人の場合、本当にそうなのか」

を確かめる役割があります。

どれか一つでは足りません。

今回確認した研究からは、 本人の好みに合わせた活動が agitationをわずかに軽減する可能性があります。

だから、 「落ち着いてもらうための活動は全部悪い」 とは言えません。

一方で、 活動を行っただけでQOLが改善したとも言えません。

だから、 「座ってくれたから成功」 とも言えません。

最後に必要なのは、 本人を見ることです。

本人の行動を、 自分たちの仮説を正当化する材料として見るのではなく、

自分たちの仮説を問い返してくれる応答として見る。

専門性とは、 「私はこの人のことを分かっている」 と言えることではないのかもしれません。

むしろ、

「今はこう考えている。
でも違うかもしれない。
だから、一緒に確かめたい」

と言えることではないでしょうか。

安全を大切にする。 本人の尊厳を大切にする。 職員の負担も無視しない。 ほかの利用者への責任も考える。

そのすべてを抱えながら、 本人だけに変化を求めるのではなく、 環境や組織、 私たち自身の関わりも少し変えてみる。

本人が安心できる時間が増える。

自分で選べることが増える。

好きなことに出会える。

歩きたいときに安全に歩ける。

休みたいときに休める。

職員も一人で抱え込まず、 誰かに相談できる。

そんな小さな変化を、 一つずつ確かめていく。

福祉の目的は、 人を管理しやすい状態へ整えることではありません。

一人ひとりが、その人らしい生活を営める可能性を、 少しずつ広げていくこと。

「その手作業は、誰のためのケアか」。

この問いに、 どの現場にも共通する一つの正解はありません。

だからこそ、 本人とともに問い続ける。

観察する。 考える。 試す。 確かめる。 必要なら変える。

その営みそのものが、 ケアの専門性なのだと思います。

主要参考文献・制度資料

ケア・専門職・組織・探究

  • Abbott, A. (1988). The System of Professions: An Essay on the Division of Expert Labor. University of Chicago Press.
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  • Meyer, J. W., & Rowan, B. (1977). Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony. American Journal of Sociology, 83(2), 340–363.
  • Mol, A. (2008). The Logic of Care: Health and the Problem of Patient Choice. Routledge.
  • Peirce, C. S. (1877). The Fixation of Belief. Popular Science Monthly, 12, 1–15.
  • Peirce, C. S. (1878). How to Make Our Ideas Clear. Popular Science Monthly, 12, 286–302.
  • Power, M. (1997). The Audit Society: Rituals of Verification. Oxford University Press.
  • Saleebey, D. (Ed.). (2013). The Strengths Perspective in Social Work Practice, 6th ed. Pearson.
  • Tronto, J. C. (1993). Moral Boundaries: A Political Argument for an Ethic of Care. Routledge.
  • Tronto, J. C. (2013). Caring Democracy: Markets, Equality, and Justice. New York University Press.
  • Weick, K. E. (1995). Sensemaking in Organizations. Sage.
  • 上野千鶴子(2011)『ケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ』太田出版。

認知症ケアに関する実証研究・ガイドライン

国内制度・公的資料

※本稿は、特定施設における「手作業」「歩行」「徘徊」の因果関係を検証した事例研究ではありません。 理論、公表されている実証研究、公的資料をもとに、 介護実践における問題設定と検証方法を考察した論考です。 個別の支援では、本人の身体状態、認知機能、生活歴、意思、環境、安全上のリスクなどを踏まえ、 多職種で個別に検討する必要があります。