パターナリズムとは?|介護・福祉の具体例と意思決定支援との違い
いつ問題になるのか
朝の忙しい時間。 一人の利用者が椅子から立ち上がり、 「トイレに行く。自分で行けるよ」と話しました。
職員は言います。
「危ないですよ。転んだら大変だから、座って待っていてください」
職員にも理由があります。 転倒歴がある。骨折させたくない。家族も心配している。
では、安全を優先して本人の行動を止めることと、 本人の意思を尊重することは、どちらか一方しか選べないのでしょうか。
パターナリズムは、支配欲だけでなく「守りたい」という思いからも起こります。
意思決定支援は、本人が考え、選べる条件を専門職が整えることを含みます。
支援者の倫理だけでなく、人員・ルール・業務構造も点検します。
1|パターナリズムとは何か
パターナリズムは、本人をより良い状態にすることや、 本人を危害から守ることを理由として、 本人の自由・選択へ介入する問題として倫理学で議論されてきました。 Stanford Encyclopedia of Philosophy「Paternalism」
介護・福祉では、
- 「危ないから外出は禁止します」
- 「本人には難しいので、家族に決めてもらいました」
- 「混乱すると思うので本人には説明しません」
- 「転ぶ可能性があるので一人では歩かせません」
といった場面に、この問題が現れる可能性があります。
「転ばせたくない」「本人につらい思いをさせたくない」という善意があるからこそ、 「本人のためにはこちらで決めた方がよい」という判断へ傾くことがあります。
パターナリズムは「悪い職員」を探すための概念ではなく、 善意の中に本人の意思を小さくする力が入り込んでいないかを 振り返るための概念として使う方が、現場では役立つと考えます。
2|介護現場の具体例|「自分でトイレへ行きたい」
「危ないので歩かせない」と決めれば、 転倒リスクは低くなるかもしれません。
一方、本人が自分で移動する機会や、 自分の生活を自分で決める感覚が小さくなる可能性があります。
反対に「本人が歩きたいと言っているから自由に歩いてもらう」だけでも、 専門職として十分とはいえません。
「歩かせるか、禁止するか」ではなく、 「本人が歩きたいという意思を大切にしながら、 どうすればより安全に実現できるか」と考えます。
3|パターナリズム=悪とは単純に言えない|ハードとソフト
本人の選択が十分な情報や自発性に基づくものかを確認するため、 一時的に介入する考え方です。
本人が状況を理解し自発的に選択していても、 本人自身を守ることを理由として介入する考え方です。
例えば、壊れた歩行器を本人が安全だと思って使おうとしている場合。
危険性を伝え、本人が状況を理解できる条件を整えることは、 単に「本人の自由へ介入してはいけない」と考えるだけでは説明できません。
情報が不足しているなら伝える。 理解しにくいなら説明方法を変える。 本人が考えられる条件を整える。 その上で意思を確認します。
4|専門家が知っていることと、本人の人生を決めることは違う
医療・福祉には、専門職と本人の間に知識や情報の差があります。
しかし、 「専門家の方が詳しい」 ということと、 「専門家が本人の人生について決めるべき」 ということは同じではありません。
Belmont Reportの「人の尊重」には、 自律的な人を自律的主体として扱うことと、 自律性が低下している人を保護するという両面があります。 HHS「The Belmont Report」
研究倫理の歴史資料として、 「本人を守ること」と「本人の自律を尊重すること」を どう両立させるかという倫理的背景を確認するために扱っています。
5|福祉では「決める権利」そのものが問われてきた|障害者権利条約第12条
障害者権利条約第12条は、 障害のある人が他の人との平等を基礎として法的能力を享有することを確認し、 その法的能力の行使に必要な支援を利用できるようにすることを締約国へ求めています。
障害があることを理由に、決定主体として扱われなくなることを防ぐ。
本人が法的能力を行使するために必要な支援へアクセスできるようにする。
支援の措置では、本人の権利・意思・選好を尊重する。
条約本文は外務省の日本語訳で確認できます。 外務省「障害者の権利に関する条約」
さらに国連障害者権利委員会は一般的意見第1号で、 本人に代わって決定する substitute decision-making から、 本人の意思・選好を中心とする supported decision-making への転換を強く示しています。 国連障害者権利委員会「General Comment No.1」
CRPD第12条本文が定める中心は、 法的能力の平等、その行使に必要な支援、 本人の権利・意思・選好の尊重です。 代行決定から意思決定支援への転換をさらに明確に論じたのが、 国連障害者権利委員会の一般的意見第1号です。
6|意思決定支援とは?|「本人に決めてもらうこと」だけではない
本人に、 「あなたが決めてください」 と任せれば意思決定支援になるわけではありません。
厚生労働省の 「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン 第2版」は、 本人が自らの意思に基づいて日常生活・社会生活を送れることを目指しています。 厚生労働省「意思決定支援ガイドライン 第2版」
安心して考え、伝えられる人的・物的条件を整える。
情報を理解し、自分なりに考えられるよう支援する。
言語・表情・行動などで意思を表せるよう支援する。
表された意思を生活の中で実現する方法を検討する。
情報を分かりやすくする。 選択肢を整理する。 体験する。 本人が考える時間を確保する。 その支援を含めて意思決定支援です。
7|「決められない人」ではなく、「決められる条件」を考える
本人が質問に答えない。 選べない。 意思を言葉にできない。
その姿だけで、 「この人には決められない」 と結論づける前に、支援環境を確認します。
「この人は分からない」と考える前に、 「この人が分かる方法を、私たちは探しただろうか」 と問い直すことが、パターナリズムを防ぐ重要な視点になります。
なお、障害福祉分野では2026年7月10日の社会保障審議会障害者部会に 「障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン(第2版)案」 が示されています。 2026年8月25日時点では「案」の段階です。 厚生労働省「第157回社会保障審議会障害者部会」
8|パターナリズムは「支援者個人の問題」だけなのか
冒頭の職員が 「危ないので座って待っていてください」 と言った背景には、 本人への心配以外の条件も重なっているかもしれません。
本人の意思を尊重しにくい場面が生じたとき、 職員個人の倫理だけでなく、 人員・業務・ルール・相談体制まで含めて点検するという意味です。
9|もう一度、「自分でトイレまで歩きたい」に戻る
では、冒頭の事例を意思決定支援として考え直してみます。
本人が大切にしている生活を起点に、 専門職としてリスクを下げながら、 どこまで実現できるかを一緒に考えます。
10|本人の意思は、一回聞けば終わりではない
意思は変わります。
実際に体験したことで考えが変わることもあります。
「昨日は嫌だったけれど、今日はやってみたい」
「前は一人で歩きたかったけれど、今は付き添ってほしい」
「今日は決めたくない」
それらも意思です。
支援する。 本人の反応を見る。 もう一度確認する。 必要なら変更する。 意思決定支援は継続するプロセスとして考えます。
11|自己決定とは「何でも本人の言う通り」ではない
本人の意思を尊重することは、 本人が言ったことを無条件で全て実現することではありません。
生命・身体への重大な危険がある。
他者の権利や安全に重大な影響がある。
本人が重要な情報を十分理解できていない可能性がある。
そのような場合には、専門職として評価・情報提供・支援が必要です。
本人の意思や代替手段を検討しないまま、 安全だけを理由に選択肢を閉じる。
リスクを具体化し、説明し、低減策・代替案を探し、 本人と多職種で方法を考える。
専門職の知識を使いながら、 意思決定の主体として本人が残り続けることが重要です。
12|「本人のため」と思ったときに確認したい7つの問い
パターナリズム、人権、意思決定支援の考え方を、 福祉教育ラボが現場で振り返りやすい問いへ整理したものです。
- 本人は、何を望んでいるか。
- 本人に分かる方法で情報を伝えたか。
- 本人にとって意味のある選択肢を示したか。
- 本人が考える時間を確保したか。
- 環境や支援方法を変えれば、できることはないか。
- 支援者側の都合を「本人のため」と言い換えていないか。
- 本人が「やっぱり違う」と考えを変えられる余地があるか。
「本人のため」と考えること自体が悪いわけではありません。
だからこそ、その言葉が出たときに、 もう一度本人の側へ戻る。
13|福祉教育ラボの視点|「本人のため」を誰が決めるのか
本人の人生の正解を決められることは、同じではありません。
専門職には知識があります。 経験があります。 リスクを予測する責任もあります。
しかし、その専門性は、 本人に代わって人生を決めるためのものではないのだと思います。
本人が考えられるようにする。 本人が選べるようにする。 本人が伝えられるようにする。 本人の意思を生活の中で実現できるようにする。
そのために専門知を使う。
パターナリズムをなくすために、 専門職が何も言わないということではありません。
専門職として意見を持つ。
リスクを説明する。
必要なら一度止めて状況を確認する。
選択肢を広げる。
環境を整える。
本人と意見が違えば、その違いを隠さず話し合う。
その後に、もう一つ問いを加える。
「本人は、どう考えているだろう」
そして、 「本人が考えられるようにするために、私たちには何ができるだろう」 と考える。
パターナリズムと意思決定支援の違いは、 支援者が本人を心配するかどうかではなく、 その心配の中に、 本人自身が意思決定の主体として残っているかどうかにあるのだと思います。
よくある質問|パターナリズムと意思決定支援
パターナリズムとは簡単にいうと何ですか?
パターナリズムは全て悪いのでしょうか?
意思決定支援とは本人に全部決めてもらうことですか?
認知症があれば家族が代わりに決めるのでしょうか?
本人の希望が危険な場合はどうしますか?
CRPD第12条と意思決定支援はどう関係しますか?
人手不足もパターナリズムに関係しますか?
一次資料・参考資料
本記事は、哲学、人を対象とする研究倫理、国際人権規範、日本の意思決定支援ガイドラインなど、 性格の異なる資料を区別しながら構成しています。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy「Paternalism」 パターナリズムの哲学的定義、hard / soft paternalism等。
- U.S. HHS「The Belmont Report」 人を対象とする研究倫理の「人の尊重・善行・公正」。
- 外務省「障害者の権利に関する条約」 第12条:法的能力、その行使に必要な支援、本人の権利・意思・選好等。
- UN Committee on the Rights of Persons with Disabilities 「General Comment No.1」 条約第12条について、supported decision-making等を詳しく整理。
- 厚生労働省 「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン 第2版」 意思形成・意思表明・意思実現、環境調整、意思の再確認等。
- 厚生労働省「第157回社会保障審議会障害者部会」 2026年7月時点の「障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン(第2版)案」。


