ストレングスとナラティブの関係とは|社会構成主義・物語・Saleebeyから考える
ストレングスとナラティブの関係とは
社会構成主義・物語・Saleebeyから考える
ストレングス・パースペクティブとナラティブは、同じ理論ではありません。 それでも両者は、ソーシャルワークの中で重要な接点を持っています。 「本人や環境には何があるのか」という問いと、 「それは本人の人生で何を意味するのか」という問いが交わるとき、 専門職による一つの説明だけでは見えなかった人間理解が立ち上がってきます。
2026年8月23日確認・更新ストレングスは「何があるか」を広げ、ナラティブは「それが本人にとって何を意味するか」を深めます。 両者は異なる理論ですが、問題・欠損だけで人を説明せず、本人の経験・関係・意味・環境まで理解しようとする地点で接続します。
1|ストレングスとナラティブは同じ理論なのか
最初に結論を確認しておきましょう。
ストレングス・パースペクティブとナラティブは、同じ理論ではありません。
一方が他方から生まれたわけでもなく、「病理→ストレングス→ナラティブ」という発展段階があるわけでもありません。
それぞれ異なる問いを持つからこそ、人間理解を補い合う可能性があります。
何が起きているのか
症状、障害、機能、困難、リスクを把握し、必要な治療・支援・安全確保を考えます。
本人と環境には何があるのか
能力、経験、希望、人間関係、地域・環境資源、可能性へ視野を広げます。
それは本人にとって何を意味するのか
経験の意味づけ、自己理解、役割、人生の文脈、語りのあり方へ目を向けます。
課題やリスクを確認すること、ストレングスを見ること、本人の物語を理解することは、それぞれ異なる役割を持ちます。どれか一つだけで人間全体を理解しようとしないことが重要です。
2|ナラティブとは何か|人は経験を「物語」として理解する
福祉で「ナラティブ」という言葉を使うと、「本人の話を丁寧に聴くこと」と説明されることがあります。
もちろん、それは重要です。
しかし、ナラティブの理論的な意味はそれだけではありません。人間が、自分自身や経験をどのように理解しているのかという、認識のあり方そのものに関係します。
Brunerのnarrative mode
Jerome Brunerは1986年の『Actual Minds, Possible Worlds』で、論理的・科学的な思考とは異なるものとして、出来事を物語として組み立て、経験に意味を与える「narrative mode」を論じました。[2]
私たちは人生を、単なる出来事の一覧として経験しているわけではありません。
「病気になった」「仕事を辞めた」「家族を失った」「施設へ入所した」という出来事があっても、その意味は出来事そのものから自動的に決まりません。
誰と関わっていたのか。なぜその選択をしたのか。そのとき何を感じたのか。それ以前に何があったのか。その出来事を今はどう捉えているのか。
こうした時間・関係・意図・感情をつなぎながら、私たちは経験を理解しています。
PolkinghorneとNarrative Knowing
Donald Polkinghorneも1988年の『Narrative Knowing and the Human Sciences』で、人間科学における物語形式の知を体系的に論じました。生活史やケーススタディなど、物語形式で組み立てられた情報も人間理解に重要な知として扱われます。[3]
支援には客観的な情報が必要です。同時に、その出来事を本人がどのように経験し、人生の中でどのような意味を与えているのかも支援に必要です。ナラティブは後者へ目を向けます。
3|社会構成主義とナラティブ|専門職の言葉は中立なのか
ナラティブの発展と深く関係する考え方の一つに、社会構成主義があります。
Kenneth Gergenは1985年の論文で、世界についての言説を、世界をそのまま写したものではなく、社会的な相互作用の中で形成されるものとして捉えました。[1]
Gergen|社会構成主義
人について語る言葉や知識も、社会・文化・関係の中で形成されるという視点が広がります。
Bruner|narrative mode
人が経験を物語として組み立て、意味づける認識のあり方を論じます。
Polkinghorne|Narrative Knowing
人間科学におけるナラティブという知の形式を体系的に扱います。
White & Epston|Narrative Means to Therapeutic Ends
人と問題を同一化しないナラティブ実践を展開します。
Saleebey|StrengthsとNarrativeの接点
ソーシャルワーク実践の中で、理論・本人のstories / narratives・文化的意味の交差を明示します。
「依存的」「意欲が低い」は事実そのものか
福祉の記録には、多くの専門的な言葉があります。
専門職がつけるラベル
支援上必要な場合があります。しかし、その言葉は本人全体ではありません。
もう一度問い直す
その行動はどのような状況で生じるのか。本人は何を経験しているのか。どのような環境なら違う姿が現れるのか。
アセスメントによって構成された人間像は支援に必要です。しかし、それが本人の全体ではありません。
専門職の記述は必要です。同時に、それが特定の制度・理論・価値観から構成された一つの説明であることを忘れないことが重要です。
4|WhiteとEpston|「人」と「問題」を同一化しない
1990年、Michael WhiteとDavid Epstonは『Narrative Means to Therapeutic Ends』を刊行しました。[4]
彼らのナラティブ実践でよく知られる考え方の一つが、問題を本人そのものとして扱わず、人と問題との間に距離をつくる「外在化」です。
「私はダメな人間だ」
「私は、自分をダメだと思わせる問題の影響を受けている」
後者では、本人と問題の間に距離が生まれます。すると、問題に支配されなかった経験、別の選択ができた経験、大切にしてきた価値、人との関係などを探索する余地が生まれます。
問題の影響は認めます。そのうえで、「問題がある」ことと「その人が問題そのものである」ことを区別します。
5|Saleebeyはストレングスとナラティブをどう接続したのか
Strengths PerspectiveとNarrativeの関係を考えるうえで、Dennis Saleebeyは非常に重要です。
なぜなら、Strengths Perspectiveの発展と普及に深く関わったSaleebey自身が、1990年代にナラティブとの接点を明確に論じているからです。
1994年「Culture, Theory, and Narrative」
Saleebeyは1994年、ソーシャルワーク実践を、専門職が持つ理論、クライエントのstoriesやnarratives、そして文化的意味が交差する場として論じました。[5]
専門職の理論
専門知識、援助理論、制度、評価枠組みから本人を理解します。
本人の語り
本人が自分の経験をどのように語り、意味づけ、理解しているか。
文化的意味
家族、地域、社会、文化の中で共有される価値や物語が影響します。
1996年「Extensions and Cautions」
1996年には、Strengths Perspectiveを支え、同時に問いを投げかける関連領域として、developmental resilience、healing and wellness、constructionist narrative and storyなどを挙げています。[6]
Strengths Perspectiveの主要論者自身が、その発展過程の中でconstructionist narrative and storyとの接点を明示していました。ここが今回の記事の重要な学術的接続点です。
6|具体例|「料理が得意」は本人にとって何を意味するのか
ここまでの話を、具体例で考えてみます。
本人の語りをたどると、夫を亡くしたあとも、子どもを育てるために毎日台所に立ってきた。
仕事をしながら、家族が帰宅する時間にはできるだけ温かい料理を用意してきた。
子どもたちが「おいしい」と言って食べる姿を見ることが、自分の楽しみだった。
Strengthsが見つけるもの
料理の技能、生活維持力、責任感、家族との関係、役割、困難を生き抜いてきた経験。
Narrativeが深めるもの
「料理する私は家族を支える人だった」という自己理解と、料理が人生の中で持つ意味。
「料理が得意」という一行は、重要なストレングスです。しかし、その一行だけでは、料理が本人の人生においてどのような意味を持ってきたのかは分かりません。
支援者が「料理が得意なんですね」と評価するだけでは、本人の意味世界へ十分届いていない可能性があります。
その能力がどのような役割や関係、自己理解と結びついてきたのかまで知ることで、「これからの生活で何を残したいのか」という支援の問いが生まれます。
7|ストレングスとナラティブは何を補い合うのか
両者が接続する理由を、もう一度整理してみます。
Strengths Perspective
- 能力
- 経験
- 希望
- 関係
- 環境資源
- 可能性
Narrative
- 経験の意味
- 自己理解
- 人生の文脈
- 役割の意味
- 語りの構造
- 別の物語の可能性
「この力は本人の人生で何を意味し、これからどう生かしたいのか」へ。
例えば「料理が得意」という情報から、単に調理活動を提案するのではなく、家族を支える役割や「誰かの役に立つ自分」という意味まで理解できれば、支援の選択肢は広がります。
献立を考える役割。誰かに料理を教える機会。食事の準備に参加する方法。本人が今も大切にしたい役割をどう残すのかという問いへ変わります。
8|「物語を聴く」だけでは生活は変わらない
ナラティブを重視すると、「本人の話を丁寧に聴けば、それで本人中心の支援になる」ように見えることがあります。
しかし、ソーシャルワークはそれだけでは完結しません。
本人が「地域で一人暮らしを続けたい」と語ったとしても、住居や所得、サービス、交通手段がなければ、その希望は実現できません。
意味が分かっても、資源がなければ実現できない
ここでStrengths Perspectiveが本人の内側だけでなく、関係・地域・環境にある資源へ目を向ける意味が出てきます。
本人の希望を理解し、その希望を現実の生活へつなぐために、どの資源を動かせるのか。何が不足しているのか。新しい資源を作る必要があるのか。制度へ働きかける必要があるのか。
Saleebeyは1994年論文で、storiesやnarrativesを重視することが社会的・政治的な問題を心理化することを意味しないと論じています。本人の語りと、本人を取り巻く現実の社会条件の両方を見る必要があります。[5]
9|専門職は「誰の物語」を記録しているのか
福祉専門職は記録を書きます。アセスメントをします。会議で本人について説明し、支援計画をつくります。
つまり専門職は、本人についての「語り手」でもあります。
そこで、一つの問いが生まれます。
誰によって語られた本人なのでしょうか。
専門職の記録は必要である
「転倒リスクがある」「服薬管理が難しい」「介助への拒否がある」という記録は必要です。
問題は、専門職が記録することではありません。その記録を「本人そのもの」として扱うことです。
一つの言葉が、その人の見え方を決める
「依存的」と書かれれば、その後の職員も「依存的な人」として本人を見るかもしれません。
「意欲が低い」と記録されれば、本人が活動へ参加しない理由より、本人自身の意欲の問題として理解されるかもしれません。
専門職の言葉には力があります。
本人自身の語りが入り直せる記録へ
専門職によるアセスメントをなくす必要はありません。
しかし、本人はどう話しているのか。本人は何を望んでいるのか。本人はその出来事をどう理解しているのか。そうした情報が記録や支援計画へ入り直せる余地が必要です。
これはロジャーズの共感的理解で考えた「理解を閉じない」という問いとも響きます。ナラティブでは、専門職の記述と本人の物語の関係として、この問題を考えることができます。
まとめ|問題だけでは、人を語り尽くせない
ストレングス・パースペクティブとナラティブは、同じ理論ではありません。
Strengths Perspectiveは「本人や環境には何があるのか」という問いを広げます。
Narrativeは「それが本人にとって何を意味しているのか」という問いを深めます。
そしてSaleebeyは1990年代、ソーシャルワーク実践を、専門職の理論、本人のstoriesやnarratives、文化的意味が交差する場として捉え、Strengths Perspectiveとconstructionist narrative and storyとの接点を明確にしました。
診断も必要です。アセスメントも必要です。リスクの把握も必要です。
同時に、その人には、これまで生きてきた経験があります。使ってきた力があります。大切にしてきた関係があります。環境の中に存在する資源があります。
そして、それらを本人自身がどのように理解し、意味づけているのかという物語があります。
本人の話だけを聴けばよいのがナラティブでもありません。
「本人には何があり、それが本人の人生で何を意味し、その希望を実現するために環境へ何を働きかけられるのか」まで考えるところに、両者がソーシャルワークの中で接続する意味があります。
ストレングスとナラティブについてよくある質問
ストレングスとナラティブは同じ理論ですか?
同じではありません。Strengths Perspectiveは本人・関係・環境にある能力、希望、資源、可能性へ着目する視座です。Narrativeは、本人の経験がどのような物語として意味づけられ、自己理解や人生の文脈と結びついているかへ目を向けます。
なぜストレングスとナラティブが一緒に語られるのですか?
異なる理論ですが、問題や病理だけでは人間全体を説明できないという点で接点があります。またStrengths Perspectiveの主要論者であるSaleebey自身が1994年・1996年の論文でナラティブやconstructionist narrative and storyとの接点を論じています。
ナラティブとは、本人の話をよく聞くことですか?
それだけではありません。Brunerらの議論では、人間が経験を時間・意味・意図などを伴う物語として理解する認識のあり方に関係します。
社会構成主義とは何ですか?
さまざまな立場がありますが、Gergenの議論では、世界についての言説を単なる現実の反映ではなく、人々の社会的な相互作用の中で形成されるものとして捉えます。
ナラティブの「外在化」とは何ですか?
問題を本人そのものとして扱わず、本人と問題の間に距離をつくり、問題の影響や、問題に支配されなかった経験などを探索できるようにする考え方です。
「料理が得意」という情報もナラティブですか?
「料理が得意」だけなら一つの能力やストレングスです。なぜ料理を大切にしてきたのか、料理が家族や役割、自分らしさとどう結びついているのかまで理解すると、本人の人生における意味や物語が見えてきます。
本人の物語を尊重すれば、制度や社会環境は見なくてもよいですか?
いいえ。本人の語りと、住居・所得・制度・差別・地域資源などの社会的条件の両方を見る必要があります。Saleebeyも1994年論文で、storiesやnarrativesを重視することが社会的・政治的問題を心理化することを意味しないと論じています。
原典・主要文献
- Gergen, K. J. (1985). “The Social Constructionist Movement in Modern Psychology.” American Psychologist, 40(3), 266–275.
Swarthmore College掲載情報を見る - Bruner, J. (1986). Actual Minds, Possible Worlds. Harvard University Press.
JSTORの書誌情報を見る - Polkinghorne, D. E. (1988). Narrative Knowing and the Human Sciences. State University of New York Press.
JSTORの書誌情報を見る - White, M., & Epston, D. (1990). Narrative Means to Therapeutic Ends. W. W. Norton.
Library of Congressの書誌情報を見る - Saleebey, D. (1994). “Culture, Theory, and Narrative: The Intersection of Meanings in Practice.” Social Work, 39(4), 351–359.
Oxford Academicの論文情報を見る - Saleebey, D. (1996). “The Strengths Perspective in Social Work Practice: Extensions and Cautions.” Social Work, 41(3), 296–305.
PubMedの書誌情報を見る
本記事ではStrengths PerspectiveとNarrative Approachを同一理論として扱っていません。また、「ストレングスは何があるかを広げ、ナラティブはそれが本人にとって何を意味するかを深める」という整理は、上記文献および福祉教育ラボの既存記事を踏まえた教育的整理です。


