認識的不正義とは|なぜ本人の声が「信頼されない」ことがあるのか

SOCIAL WORK & EPISTEMIC JUSTICE

福祉やソーシャルワークでは、「本人の声を聞くこと」が大切だと言われます。 しかし、本人が話す機会を持てたこと、その語りが「知識」として認められたこと、 そして実際の意思決定へ影響したことは、それぞれ別の問題です。

本稿では「認識的不正義(epistemic injustice)」という考え方から、 本人の声を聞いた後に、私たちはその声をどのように扱っているのかを考えます。

研究の射程について: 認識的不正義は哲学・認識論から発展し、医療、精神保健、ソーシャルワークなどへ応用されてきた概念です。 現在の実証研究は質的研究や理論研究の比重が大きく、 本稿でも一つの概念によって福祉実践のすべてを説明するものとしては扱いません。 また、単一事例研究や少人数の質的研究については、その限界を本文中で明示します。

通し事例:Aさんの「家に帰りたい」

認知症の診断を受けているAさんは、「家に帰りたい」と話しています。 ケース会議でも本人の希望は確認され、記録には「本人意向:帰宅希望」と書かれました。

一方で専門職の間では、「認知症がある」「転倒歴がある」「一人暮らしは現実的ではない」と議論が進み、 在宅生活を可能にする条件を具体的に検討する前に、施設生活の継続が現実的だという結論へ傾いていきました。

Aさんの声は確かに「聞かれて」います。 それでも、その声は「Aさん自身が、自分の暮らしについて持っている知識」として扱われたのでしょうか。

PART Ⅰ

認識的不正義とは何か

まず、Miranda Frickerが示した「証言的不正義」と「解釈的不正義」の違いから整理します。

「話しているのに信用されない」――証言的不正義

「認識的不正義(epistemic injustice)」を体系的に論じたのが、哲学者Miranda Frickerです。 Fricker(2007)は代表的な二つの類型として、 「証言的不正義」と「解釈的不正義」を提示しました。

証言的不正義(testimonial injustice)とは、 発言内容そのものを検討した結果ではなく、 話し手に結びついた偏見によって、その証言へ不当に低い信用性が与えられることです。

証言的不正義 testimonial injustice

「何を話したか」より先に、「誰が話したか」によって、 その人の証言の信用性が不当に低く評価される問題です。

たとえば

「認知症だから」「精神疾患があるから」といった属性が、 本人の具体的な発言を検討する前から 「この人の説明はあまり信用できない」という判断へ影響する場合です。

CarelとKidd(2014)は、病者が「認知的に信頼しにくい」「感情的に不安定である」といった ステレオタイプによって、証言者としての信用性を不当に低く見積もられる危険を論じています。 DOIから原著を確認する

精神保健についてCrichton、Carel、Kidd(2017)は、 精神障害のある人が認識的不正義へ特に脆弱になり得る条件を検討しています。 ここで注意したいのは、「精神疾患の診断そのものが自動的に本人の信用性を下げる」という単純な因果ではありません。

否定的なステレオタイプや、特定の症状から本人の他の発言まで過度に一般化することによって、 その症状とは直接関係しない証言まで低く評価される危険がある、という問題です。 DOIから原著を確認する

重要な区別: 本人の話を疑ったり、他の情報と照合したりすること自体が認識的不正義なのではありません。 問題になるのは、発言内容を検討する前から、 年齢、診断、障害などによって信用性を不当に引き下げることです。

経験しているのに、それを理解する言葉がない――解釈的不正義

Frickerのもう一つの類型が、 「解釈的不正義(hermeneutical injustice)」です。

私たちは、自分に起きていることを理解するとき、 社会の中にある言葉や概念を使っています。 「ハラスメント」「虐待」「ヤングケアラー」「障害の社会モデル」といった言葉が存在することで、 それまで個人的な問題としてしか理解できなかった経験を、別の形で理解できることがあります。

逆に、本人には確かに経験があるのに、 その経験を理解したり伝えたりするための共有された言葉や概念、解釈の枠組みに不公正な欠落があれば、 本人自身も何が起きているのかを説明しにくくなります。

解釈的不正義 hermeneutical injustice

自分の経験を理解・表現するための共有された解釈資源が不公正に不足し、 その人が自分の経験を理解したり他者へ伝えたりするうえで不利になる問題です。

支援場面では

本人の説明が専門職の既存カテゴリーへうまく入らないとき、 「本人の説明不足」だけではなく、 「こちら側の理解枠組みが足りない可能性」を考える視点につながります。

本人
「ここにいると、自分じゃなくなる感じがする」
専門職の整理
「環境不適応」「抑うつ」「認知症に伴う症状」

専門概念を使うことは必要です。 しかし、「本人の経験を理解するために専門概念を使うこと」と、 「専門概念に入る部分だけを本人の経験として認めること」は違います。

日本語では飯塚理恵(2022)が、Frickerの二類型とその後の理論展開を整理しています。 DOIから論文を確認する

PART Ⅱ

本人が話しているのに、なぜ「届かない」のか

発言する機会があることと、その証言が受け取られることの違いを考えます。

話せることと、受け取られることは同じではない

Kristie Dotson(2011)は、 発言機会が存在していても、証言が実質的に沈黙化される仕組みを論じています。

testimonial quieting

聞き手が、話し手をそもそも「知ることのできる人」「知識を伝える人」として十分に認めず、 その証言が実質的に受け取られない状態です。

testimonial smothering

「この相手には理解してもらえない」「ここで話すと不利益になる」と予測した話し手が、 自ら証言を縮めたり、一部を語らなくしたりすることです。

Dotsonの論文は Hypatia 26(2), 236–257です。 DOIから原著を確認する

Aさんの言葉が変わったら

Aさんは最初、「家に帰りたい」と繰り返し話していました。 しかし、何度話しても「危ないから」「現実的ではないから」と結論が変わらなかった。

その後Aさんが「もう何でもいい」と言うようになったとしても、 それだけでtestimonial smotheringが起きたと断定することはできません。

ただ、「Aさんには希望がなくなった」と結論づける前に、 「ここは、Aさんが希望を話しても意味があると思える場になっているだろうか」と問い直すことはできます。

信じてもらえない経験が、「もう話さない」につながることもある

Okuhara、Okada、Yokota、Kagawaは、 医学的に説明困難な慢性疼痛を持つ日本の成人16人の語りを分析し、 患者と医療者とのコミュニケーションにおける認識的不正義を検討しました。

そこでは、語ることをあらかじめ諦めること、援助希求から撤退すること、 自分自身の経験や信用性まで疑うようになることなどが分析されています。 一方、自分の経験を真剣に受け止められることが、尊厳や自己信頼の回復へつながる経験も報告されています。 DOIから原著を確認する

この研究は成人16人を対象にした質的研究です。 「信じてもらえなければ必ず援助希求が減る」という因果関係を示す研究ではありません。 ただし、繰り返し語りを退けられる経験が、その後の「話すこと」「助けを求めること」「自分を信頼すること」へ 影響し得ることを考える重要な材料になります。

PART Ⅲ

専門職は、本人の経験をどう「知識」に変えるのか

面接、アセスメント、記録を通して、本人の語りが専門職の言葉へ変換される過程を考えます。

本人の語りは、そのまま記録されるわけではない

ソーシャルワークには、本人の語りを整理し、アセスメントし、 支援計画や制度へつなげる役割があります。 これは必要な専門実践です。

しかし、その変換は完全に中立ではありません。

Leeら(2019)は、精神病経験のある1人のクライエントと1人のソーシャルワーカーによる 録音面接を会話分析しました。 これは1事例の研究であり、ソーシャルワーク面接全般へ一般化することはできません。

それでも、専門職の言葉が本人の証言を制度上のアジェンダへ沿う形に構成し、 本人の生きられた経験を先取りするような相互作用が示されています。 本人側も、専門職による構成を一方的に受け入れていたわけではなく、抵抗するやり取りが確認されています。 DOIから原著を確認する

「本人が語ったこと」と、
「専門職が本人について知ったこと」は、必ずしも同じではありません。

「今日は行きたくない」が「支援拒否」になるまで

本人
「今日はデイサービスに行きたくない」
記録
「サービス利用拒否あり」

「拒否」というカテゴリーそのものが悪いのではありません。 しかし、その言葉だけが正式な記録として残ると、 なぜ今日だけ行きたくなかったのか、本人が何を嫌がったのか、 時間、場所、人、方法のどこに意味があったのかが見えなくなる可能性があります。

Lee(2022)は、ソーシャルワーク・アセスメントにおける 「事実の構成」と「カテゴリー化」を認識的正義の観点から分析しています。 専門職によるカテゴリー化は制度や支援を動かすために必要ですが、 その構成が本人自身の経験と異なる場合、本人の知を周縁化する場にもなり得ます。 DOIから原著を確認する

本人には言葉があるのに、こちらが受け取らない場合

Gaile Pohlhaus Jr.(2012)は、 「故意の解釈的無知(willful hermeneutical ignorance)」という概念を論じています。

周縁化された人々の側には自分たちの経験を理解するための認識資源があるにもかかわらず、 優位な側がそれを認めず、自らの理解枠組みを維持する問題です。 DOIから原著を確認する

ここでいう「故意」は、 「相手を苦しめよう」とする明確な悪意や自覚的な意図を必ずしも意味しません。 本人側から示された理解の仕方を受け取らず、 優位な側が自分たちの解釈枠組みを維持し続けることが問題になります。

Aさん
「家にいると、自分でいられる」
専門職
「施設生活の必要性を理解できていない」

専門職の説明を捨てる必要はありません。 しかし、「Aさんが『自分でいられる』と言ったとき、何を意味していたのか」を確かめる余地まで失う必要もありません。

PART Ⅳ

「本人の声」は、言葉だけなのか

音声言語だけを「声」と考えることで、見えなくなる知がないかを考えます。

認知症が進行している人、失語がある人、重い知的障害などによって言語表現が難しい人でも、 表情、視線、身振り、身体の動き、近づく・離れるといった形で、 経験や意思を表していることがあります。

Lucienne Spencerは、後期認知症を題材に、 証言を音声言語だけへ限定すると、 非言語的に経験を表現する人が「知識を伝える主体」として扱われなくなる危険を論じ、 「non-verbal testimonial injustice」という考え方を提案しています。

論文は2022年にonline firstとなり、 正式巻号では Social Epistemology, 37(1), 62–79(2023)です。 DOIから原著を確認する

これは現時点で確立した標準概念とまでは言えません。 一方、日本でも宮島柚果(2024)が、 「非言語的コミュニケーションにおける認識的不正義――表現的不正義という新たな類型の提唱」において、 認識的不正義を非言語的表現へ広げています。 DOIから論文を確認する

「本人の声を聞く」と言いながら、
私たち自身が「声」の範囲を狭く定義していないでしょうか。

PART Ⅴ

本人が話せるようになれば、不正義は解消するのか

発言機会だけでなく、その語りが認められ、実際の意思決定へ届くかを考えます。

Voice・Recognition・Influenceを分けて考える

本稿では、本人参加を考えるために三つの段階を区別します。

1 Voice 本人が語れる
2 Recognition 語りが「知」として認められる
3 Influence 支援・意思決定へ影響する

※これは検証済み尺度ではなく、本稿で本人参加を整理するために用いている分析上の枠組みです。

本人が会議に参加し、希望を話したのであればVoiceはあります。 しかし、その語りが判断材料として認められなければRecognitionは弱い。 さらに、その語りによって選択肢や支援方法が一度も再検討されなければ、Influenceも限定されます。

本人に「声を出してもらうこと」だけでは、認識的不正義は解消しません。

アドボカシーにも、できることと限界がある

NewbiggingとRidley(2018)は、 精神保健法のもとで拘束を経験した人々への独立アドボカシーを、 認識的不正義の観点から分析しました。

研究では、拘束経験者90人への個別インタビューと3回のフォーカスグループを含む評価データが用いられています。 独立アドボカシーは、本人の証言が認められる「証言的正義」には貢献した一方で、 制度が本人の経験をどう理解するかという「解釈的不正義」を克服する力には限界がありました。 DOIから原著を確認する

誰が発言できるかだけでなく、 誰の説明が制度上有効なものになるのか、 誰の言葉が正式な記録になるのかまで見る必要があります。

PART Ⅵ

では、本人の話を何でも信じればよいのか

「知る主体として尊重すること」と「無条件に事実認定すること」を区別します。

認識的正義とは、本人の話をすべて無条件に正しいと認定することではありません。

Aさんが「一人で何でもできる」と話したとしても、 転倒歴、服薬状況、生活環境などを専門職が確認する必要があります。 本人の理解と他の情報に違いがある場合もあります。

だから専門職の判断は必要です。

本人を「知る主体」として扱うことと、
本人の話を無批判に採用することは違います。

本人の話を聞く。他の情報も確認する。 見解が違うなら、なぜ専門職として異なる判断をしているのかを説明する。

そして、 「本人の理解が間違っている可能性」だけでなく、 「こちらの理解が間違っている可能性」も残しておく。

この双方向性が必要です。

PART Ⅶ

「本人 vs 専門職」だけの問題ではない

知識の信用性には、専門職間にも階層があります。

認識的不正義を、 「本人が被害者で、専門職が不正義を行う側」 という単純な構図だけで理解することにも注意が必要です。

Cootes、Heinsch、Brosnan(2022)は、 医療チームにおけるソーシャルワークの認識的貢献を検討したスコーピングレビューで36文献を分析しました。

ソーシャルワークの知識には多職種医療への重要な貢献がある一方、 チームのなかで不明瞭化されたり、知識階層のなかで周縁化・排除されたりする場合があることが整理されています。 DOIから原著を確認する

さらにHornyak-Bellら(2026)の医療専門職に関するスコーピングレビューでは、 4,186件から30文献が採用され、 認識的信用性の階層、専門職が主体的に動く余地への制約、 職業アイデンティティへの圧力などが整理されています。

採用文献は質的研究と理論・論評が中心で、量的研究やmixed methods研究は含まれていませんでした。 DOIから原著を確認する

認識的不正義研究は急速に広がっていますが、 実証基盤には質的・理論的研究が大きな割合を占めています。 「この概念ですべての現象が科学的に説明できる」と扱うのではなく、 「誰の知が、なぜ信用されるのか」を問い直す枠組みとして使うことが重要です。

PART Ⅷ

実践で何を問い直せるか

認識的不正義を防ぐ「正解集」ではなく、専門職自身の判断を点検するための問いです。

省察の問い 確認したいこと
この人の話を信用しにくいと感じているのは、なぜか 発言内容や他情報との矛盾に根拠があるのか。 それとも診断、年齢、障害などが先に立っていないか。
本人が語ったことと、私が解釈したことを分けられているか 「本人の言葉」と「専門職としての見立て」を混同していないか。
理解できない語りを、すぐ既存カテゴリーへ入れていないか 本人の説明能力だけでなく、私たちの解釈枠組みの不足も検討したか。
本人と見解が違う場合、その違いを本人へ返しているか 専門職の説明だけを「正式な事実」として残していないか。
本人が話さなくなった理由を、意欲の問題だけで説明していないか 「話しても届かない」と本人が感じるような過去の経験はなかったか。
言語以外の表現を意味あるものとして見ているか 表情、身振り、視線、身体反応などを、単なる症状として処理していないか。
誰の知識が最も「専門的」と扱われているか 本人、家族、ソーシャルワーカー、医療職などの知の階層を、 無自覚に前提としていないか。

重要なのは、専門職の判断を弱めることではありません。

専門職だからこそ、 「私は何を根拠に、この情報へ高い信用性を与え、別の情報を低く評価しているのか」 を説明できる必要があります。

福祉教育ラボの視点|本人の声を「聞いた後」に何をするのか

Aさんは最初、「家に帰りたい」と話していました。 その希望は記録され、会議でも確認されました。

それでも専門職の議論では、 「認知症」「転倒リスク」「一人暮らしは難しい」という情報が強く扱われ、 Aさんにとって「家へ帰ること」が何を意味するのかは、十分に検討されなかったかもしれません。

その後Aさんが「もう何でもいい」と言ったとき、 「本人の希望が変わった」と理解することもできます。

しかし、もう一つ問いを残せます。

Aさんは、「自分の希望を話しても、意思決定には届かない」と感じてはいなかっただろうか。

外から答えを決めることはできません。 だからこそ、もう一度本人へ聞く必要があります。

認識的不正義という考え方が教えてくれるのは、 「本人を何でも信じなさい」ということではありません。

本人と専門職の意見が違っても、その人を 「自分の経験について知っている人」として扱う。 専門職として別の判断をするなら、その根拠を説明する。 理解できない語りに出会ったら、 「本人が分かっていない」だけでなく、 「私たちの理解の枠組みが足りない可能性」も残しておく。

本人の声を聞くことは大切です。 けれども、その声を聞いた後に、 誰の説明を「信頼できる知」として扱うのか。

そこまで問い続けて初めて、 「本人の声を大切にする」という言葉が、実践になっていくのではないでしょうか。

この論考で使った主な用語

証言的不正義 testimonial injustice

話し手への偏見によって、証言の信用性が不当に低く評価されること。

解釈的不正義 hermeneutical injustice

経験を理解・表現する共有された解釈資源の不公正な欠落によって、 本人が不利になること。

testimonial quieting

聞き手が話し手を「知る主体」として十分に認めず、 証言が実質的に受け取られないこと。

testimonial smothering

聞き手には理解してもらえない、または不利益になると予測し、 話し手自身が証言を縮めること。

主要な研究・資料

  1. 基礎理論 Fricker, M. (2007). Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing. Oxford University Press. DOI: 10.1093/acprof:oso/9780198237907.001.0001. DOI
  2. 理論 Dotson, K. (2011). Tracking Epistemic Violence, Tracking Practices of Silencing. Hypatia, 26(2), 236–257. DOI: 10.1111/j.1527-2001.2011.01177.x. DOI
  3. 理論 Pohlhaus, G. Jr. (2012). Relational Knowing and Epistemic Injustice: Toward a Theory of Willful Hermeneutical Ignorance. Hypatia, 27(4), 715–735. DOI: 10.1111/j.1527-2001.2011.01222.x. DOI
  4. 医療倫理 Carel, H., & Kidd, I. J. (2014). Epistemic injustice in healthcare: a philosophical analysis. Medicine, Health Care and Philosophy, 17(4), 529–540. DOI: 10.1007/s11019-014-9560-2. DOI
  5. 精神保健 Crichton, P., Carel, H., & Kidd, I. J. (2017). Epistemic injustice in psychiatry. BJPsych Bulletin, 41(2), 65–70. DOI: 10.1192/pb.bp.115.050682. DOI
  6. Social Work Lee, E., Tsang, A. K. T., Bogo, M., Johnstone, M., Herschman, J., & Ryan, M. (2019). Honoring the Voice of the Client in Clinical Social Work Practice: Negotiating with Epistemic Injustice. Social Work, 64(1), 29–40. DOI: 10.1093/sw/swy050. DOI
  7. Assessment Lee, E. (2022). Fact Construction and Categorization in Assessment: Cultivating Epistemic Justice and Resistance in Social Work Assessment. Social Service Review, 96(3), 534–571. DOI: 10.1086/721273. DOI
  8. Advocacy Newbigging, K., & Ridley, J. (2018). Epistemic struggles: The role of advocacy in promoting epistemic justice and rights in mental health. Social Science & Medicine, 219, 36–44. DOI: 10.1016/j.socscimed.2018.10.003. DOI
  9. 日本・質的研究 Okuhara, T., Okada, H., Yokota, R., & Kagawa, Y. (2026). Listening to the silence of pain narratives: A qualitative study of epistemic injustice in patient–clinician communication on medically unexplained chronic pain in Japan. Patient Education and Counseling, 142, 109402. DOI: 10.1016/j.pec.2025.109402. DOI
  10. 非言語表現 Spencer, L. (2023). Epistemic Injustice in Late-Stage Dementia: A Case for Non-Verbal Testimonial Injustice. Social Epistemology, 37(1), 62–79. DOI: 10.1080/02691728.2022.2103474. DOI
  11. 多職種連携 Cootes, H., Heinsch, M., & Brosnan, C. (2022). “Jack of All Trades and Master of None”? Exploring Social Work’s Epistemic Contribution to Team-Based Health Care. British Journal of Social Work, 52(1), 256–273. DOI: 10.1093/bjsw/bcaa229. DOI
  12. Scoping review Hornyak-Bell, E. et al. (2026). Epistemic injustice in healthcare professional practice: A scoping review. Social Science & Medicine, 394, 119040. DOI: 10.1016/j.socscimed.2026.119040. DOI
  13. 日本語・理論 飯塚理恵(2022) 「認識的不正義」 『哲学の探求』第49号, 2–11. DOI: 10.69219/wakateforum.2022.49_2. DOI
  14. 日本語・非言語 宮島柚果(2024) 「非言語的コミュニケーションにおける認識的不正義――表現的不正義という新たな類型の提唱」 『倫理学研究』54, 144–155. DOI: 10.24593/rinrigakukenkyu.54.0_144. DOI