9月23日は「手話の日」|手話はなぜ法律で「言語」と位置づけられているのか
今日、9月23日は「手話の日」です。
2025年6月に成立した「手話に関する施策の推進に関する法律(手話施策推進法)」によって、毎年9月23日が「手話の日」と定められました。
今年、2026年は、この法律が施行されてから2度目の「手話の日」です。
「手話通訳」という言葉は知っていても、なぜ手話が法律の中で「言語」と位置づけられているのか。そこまで考える機会は、あまり多くないかもしれません。
今回は、日本の法律が手話をどのように位置づけてきたのか、2025年の手話施策推進法で何が加わったのか、そして「手話を使える社会」とは何を意味するのかを整理します。
最初に結論|手話は「支援方法」である前に、その人が使う言語
手話について考えるとき、
「聞こえない人に情報を伝える方法」
「手話通訳という福祉サービス」
と捉えることがあります。
もちろん、情報保障や手話通訳は重要です。
しかし、日本の法律はそれだけのものとして手話を扱っていません。
2011年に改正された障害者基本法では、
という表現が明記されました。
また、障害のある人が、可能な限り、自分が使う言語やその他の意思疎通手段を選択できる機会を確保することが基本原則として位置づけられています。
2025年の手話施策推進法は、その考え方をさらに具体化しました。
本人が、自分にとって必要な言語を使いながら生活できる社会そのものを、どうつくるのかが問われています。
なぜ9月23日が「手話の日」なのか
9月23日という日付には、国際的な背景があります。
手話施策推進法では、国民の間に広く手話への理解と関心を深めるため「手話の日」を設け、国や地方公共団体が、その趣旨にふさわしい行事を実施するよう努めることとされています。
2026年も全国で関連行事が行われています。
内閣府は今日9月23日、オンラインシンポジウム「手話のある風景を、日常へ」を午後1時から4時まで開催します。
手話を必要とする人が、実際にその言語を使って暮らせる社会になっているかを考える日でもあります。
「手話は言語」と法律に書かれたのは2025年が最初ではない
2025年の手話施策推進法によって、初めて日本で手話が「言語」になったわけではありません。
大きな節目の一つは、2011年の障害者基本法改正です。
改正後の第3条には、
という文言が入りました。
法律は、障害のある人について、可能な限り、言語やその他の意思疎通手段を選択する機会が確保されることなどを基本原則として掲げています。
重要なのは、支援する側が何を提供するかだけではありません。
本人が、どの言語や意思疎通手段を使いたいのかを選択できることが、法律の基本的な考え方になっています。
では、2025年の「手話施策推進法」は何を変えたのか
2025年6月18日、「手話に関する施策の推進に関する法律」が全会一致で成立し、6月25日に公布・施行されました。
この法律は、手話についての理念を確認するだけではありません。
国や地方公共団体が、具体的にどのような環境を整えるのかまで定めています。
手話施策推進法は「手話通訳者を増やす法律」だけではありません。
言語を習得し、使い、学び、生活し、文化をつないでいくための環境全体が対象です。
「手話を学ぶ」と「手話で学ぶ」は違う
特に注目したいのが教育です。
「学校で手話を教える」と聞くと、聞こえる子どもたちも簡単な手話を覚えましょう、という啓発活動を思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それも大切です。
しかし、手話施策推進法が扱う教育は、それだけではありません。
手話そのものを習得すること。
言葉や表現方法を身につけていくことです。
自分が理解しやすい言語で、数学、社会、生活に必要なことなどを学ぶこと。
教育を受けるための言語環境そのものに関わります。
英語で考えると分かりやすいかもしれません。
「英語を勉強すること」と、「英語を使って数学や歴史を学ぶこと」は同じではありません。
手話についても同じです。
だからこそ、法律は手話を教える機会だけでなく、教員、通訳者、教材、教育環境まで対象にしています。
なぜ「文化」まで法律に書かれているのか
手話施策推進法の特徴の一つが、「手話文化」という考え方です。
法律の基本理念では、手話が長年にわたって受け継がれ、手話によって豊かな文化がつくられてきたことを踏まえ、手話文化の保存・継承・発展を図ることが掲げられています。
もし手話が単なる「情報伝達の補助技術」であれば、
文化を保存する。
文化を継承する。
という考え方は出てきにくいでしょう。
言葉には、その言葉を使ってきた人々の経験や歴史、人との関係、表現があります。
手話を使える環境を守ることは、情報伝達だけでなく、その言語を使って築かれてきた人と人とのつながりや文化を社会の中で継承していくことでもあります。
手話は「合理的配慮」と同じなのか
障害福祉の現場では、
「手話通訳=合理的配慮」
と整理されることがあります。
場面によっては、手話通訳の提供が合理的配慮として行われることはあります。
しかし、「手話そのもの」と「合理的配慮」は同じではありません。
本人が使用する「言語」です。
習得、教育、生活、文化など幅広い環境に関わります。
個々の場面で社会的障壁を取り除くために行う、必要かつ合理的な変更・調整です。
その言語を使える社会環境を整えることと、ある具体的な場面で個別に必要な配慮を行うことは、重なる部分はあっても同じ概念ではありません。
ここを分けて考えると、なぜ手話施策推進法が合理的配慮だけでなく、子どもの言語習得、教育、地域生活、文化、研究、国際交流まで対象にしているのかが見えやすくなります。
手話は世界中で同じなのか
手話について、
「手で話すなら、世界共通なのでは?」
と思うこともあるかもしれません。
しかし、手話は世界共通ではありません。
政府広報も2026年9月21日の特集で、「国による手話の違い」を取り上げています。
ここからも、手話を単なる共通のジェスチャーとしてではなく、それぞれの社会や文化の中で使われ、受け継がれてきた言語として理解する必要があることが分かります。
その背景には、手話を使う人が自分の言語を選び、その言語で学び、生活し、人とつながることを社会がどう保障するのか、という問いがあります。
福祉教育ラボの視点|「伝えてあげる」から「その人の言語でつながれる社会」へ
福祉の現場では、私たちはしばしば「どう伝えればよいか」を考えます。
分かりやすく説明する。
文字にする。
筆談する。
手話通訳を依頼する。
もちろん、どれも大切です。
でも、手話を「言語」というところから考えると、問いが少し変わります。
「私たちが、どう伝えてあげるか」だけではなく、
「その人が、自分に必要な言語を使って、考え、学び、選び、人と関係をつくれる環境になっているか」
という問いになります。
これは似ているようで、かなり違います。
前者では、支援する側が中心になりやすい。
後者では、その人が何を使いたいのか、どのようにコミュニケーションを取りたいのかが中心になります。
2011年の障害者基本法が、「言語(手話を含む。)」について選択の機会を掲げたこと。
2025年の手話施策推進法が、手話を学ぶことだけでなく、手話で学ぶこと、生活すること、文化を継承することまで制度の対象にしたこと。
この二つをつなげて見ると、日本の制度が少しずつ、
「聞こえる人の社会に、どう参加してもらうか」
という考え方から、
「異なる言語を使う人が、同じ社会の構成員として暮らせる環境をどうつくるか」
という考え方へ広がってきたことが見えてきます。
手話の日は、手話を一つ覚えて終わる日ではないのかもしれません。
私たちが普段「当たり前」としているコミュニケーションのあり方を、少し違う角度から見直す日でもあるのではないでしょうか。
まとめ|手話を「使える」ことまで考える
9月23日は「手話の日」です。
その背景には、
1951年の世界ろう連盟の設立。
2017年の国連「手話言語の国際デー」。
2011年の障害者基本法改正。
そして2025年の手話施策推進法。
という流れがあります。
日本ではすでに、障害者基本法に「言語(手話を含む。)」と明記されています。
さらに手話施策推進法では、
手話を習得すること。
手話を使うこと。
手話で学ぶこと。
手話を使って地域で暮らすこと。
そして手話文化を保存し、継承し、発展させること。
までが国や地方公共団体の施策として位置づけられました。
大切なのは、
「手話を知っている社会」だけではなく、
必要とする人が、実際に手話を使える社会になっているか
ということなのだと思います。
今日の「手話の日」を、「聞こえない人のための特別な話」としてではなく、私たちはどのような言語やコミュニケーションの違いを持つ人とも、一緒に暮らせる社会をつくれているだろうか。
そんなことを考える機会にしてみてもよいのかもしれません。


